妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

全部流さないで。【映画】『市子』雑感。

映画『市子』予告編|主演:杉咲花 12.8(金)公開 - YouTube

f:id:mousoudance:20231228170624j:image

終始不穏な低音が響いているような、お腹にズシリとしたものを感じる作品だった。〝失踪した市子〟を巡る道程において徐々に明かされていく内容に感情が掻き乱されていく。〝不確かなアイデンティティ〟というモチーフは決して目新しいものではないけれど、市子のキャラクター像が持つ圧倒的な存在感には説得力がある。

各々の証言は〝信用出来ない語り手〟によって話されているストーリーでしかなく、そういったパズルの積み上げで出来上がった市子像もまた、わたし達の目の前からこぼれ落ちていく。それは幻影のようにユラユラとした存在でしかない。その寄る辺のなさにある哀しさをどう表現していいかは正直判らない。判らないけれど、知らず知らずのうちに惹きこまれていく。

キャスト演じた杉咲花さんは圧巻だった。抜き差しならない環境の中で、生き抜く為に培われた彼女なりのライフハックは、時に残酷であり悪魔的でもある。他者と対峙している時に感情を露わにする事は殆どない。一方で、視線や眼差しには様々な感情の機微が宿っている。

そして若葉竜也さんもまた良い。長谷川が市子を探し続けるという行動は、即ち狂言回し的にストーリーを展開する役目を担っている。その為、基本的には控えめに立ち回っている。やや伏目がちに相手を見つめているのは、自分を守る為の防御策のようにも思えるし、また飛びかかる為の準備のようにも見える。その姿には彼もまた過去に何かを抱えているのではないか?と感じさせるオーラを宿らせていた。長谷川もまた視線や眼差しが印象的だ。

そう。この作品は多くの人物が視線や眼差しで語っている。市子の母親(長谷川と対峙した時の目の表情がパッと変わる瞬間の中村ゆりさん、素晴らしい)も北くん(森永悠希さんが放つ、真摯なようでいて実は利己的な正義感に付きまとう狂気)も感情を露わにする場面はあるけれど、その視線や眼差しが印象的だった。なかでもわたしがハッとさせられたのはある人物が市子を見つめる瞳だった。下から市子を見上げるその視線に、どのような感情があるのかは全く掴めないけれど、こちらの心を揺さぶる何かがその瞳の奥に宿っていて、この作品の中でも強く印象に残る場面だった。

市子は雨に打たれながら「全て流れてしまえ」と叫ぶ。自分に降りかかっている厄災を洗い流して生まれ変わりたいという思いは切実過ぎるほどに切実な願いだ。しかし、そんな市子が流しきれない罪を背負いながらも「洗い流してしまいたくない記憶」を手にしていたのであれば、もしかしたら救済の徴があったのかもしれないとわたしは思った。