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利己的な不寛容さ。【映画】『TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー』雑感。

『TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー』本予告 12.22 - YouTube

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A24のホラーというだけで、一定のクオリティは保証されているというハードルの高さをクリアする面白さ。降霊をティーンズが軽々しく扱うドラッグになぞらえるいうアイディア一発のようにも見えるけれど、中々どうして不穏さと怖さが終始画面を支配している90分は飽きさせない作りで、評判に偽りなしというところ。始まってから〝イヤな事しか起きていない〟というストロングスタイルで押し切っていくという潔さすら感じた。

〝それをやってはいけない〟という事をやってしまう事で悲劇に繋がるというホラー映画らしい展開も、すんなりと受け入れられたけれど、わたしが感じたのは映画全体に横たわる〝利己的な不寛容さ〟だった。ライトなドラックのように降霊を扱う愚かさやSNSが支配する社会の怖さという現代的なテーマはもちろんあるのだけれど、この作品内で起こる悲劇を生み出しているのは他者への不寛容さに起因しているように思える。

主人公ミアのみならず、ほとんどの登場人物達は利己的に物事を捉え行動している。彼女(彼)らは概ね保身を念頭に行動しており、その行動が他者へどんな悪影響を及ぼすかどうかについての想像力に欠けている。〝もう少し寛容さを見せていれば、もう少し相手のことを考えていたら…〟という場面が随所に見られ、そういった綻びの積み重ねが最悪の事態を産み出しているようにしか見えなかった。他者へ寄り添う姿を見せて赦すことを受け入れる余地があれば避けられたであろう惨状が容赦なく押し寄せてくる。

泥沼のように抜け出せない状況の中でも、人間というものは幾ばくかの救いや赦しの兆しを求めてしまう。それが正しいのかどうか判らないけれど、差し伸べれた手を掴むことがもしかしたらミアにとって赦しと救済の徴(しるし)になっていたと思い込む事も可能だと思うのだが如何でしょうか。