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そして、ベラは行く。【映画】『哀れなるものたち』雑感。

第80回ヴェネチア国際映画祭最高賞、金獅子賞受賞!『哀れなるものたち』予告編│2024年1月26日(金)公開! - YouTube

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ヨルゴス•ランティモス作品にある不思議な魅力をロジカルに積み立てて説明する術をわたしは持たないけれども、相性が良いというか観れば独特のカタルシスのようなものを抱く。今作もそうだった。

〝良識ある社会〟によって抑圧や矯正/強制される者の解放の物語、というのが第一印象だけれど、果たしてそういう枠組みに押し込むことが正しいとも言い切れない。ただ、ベラが冒険の旅に出るロードムービーとしても、自己を獲得していく〝子供〟の(かなり歪んではいるけれど)成長物語としても妙に身体の中に沸き立つ何かを発見する、そんな快感が間違いなくあった。ベラが歩んできた冒険の旅、ロンドンからリスボンアレクサンドリア、パリへと続くロードムービーは、まさしく成長物語だが、と同時に行く先々での抑圧との戦いでもある。倫理的な縛りごとからどうやって自由を獲得していくのか、という闘いの歴史。ゴッドやダンカンといった庇護者はベラにあらゆるルールを押し付ける。その都度、ベラは無邪気ではあるが芯をつくような反応で世界の〝良識さ〟を無効化していく。序盤でヨタヨタとしたいた足取りが徐々にしっかりと意思をもった力強い歩みに変化していく様に表現されているが、それを演じるエマ•ストーンは本当に素晴らしかった。幻想的な美術もまた魅力的で、フェリーニの『そして船は行く』を思い起こされる船旅のシーンやケレン味たっぷりのリスボンの風景にも映画的興奮があった。(あのリスボンの空を渡るトラムが現実なのかファンタジーなのか、その境界線を彷徨う感じで、それもまた良い)

そして異形な者の物語という側面。ベラを作り出したゴッドの行いは狂気を帯びているが、彼自身もまた科学の名の下で〝矯正〟された異形の者でもある。そして〝良識ある社会〟はしばしばそれをモンスターと呼び、忌避するのだが、ではゴッドはそんな社会(或いはその境遇)に復讐しているのかといえばそういう訳でもない。(言葉どおりの意味で)確信犯的に生きているように見える。ゴッドによって産み落とされたベラもまた、良識ある社会では異質のものとして存在するが、その異質さが次第に人間というものの核そのものの純粋さ(とそれが孕む残酷さ)を表しているようでもあった。ベラとゴッドの間に生まれている歪な関係は、例えば赦しと救済というシンプルな構図には落とし込まれない。けれど、ベラとゴッドの間に流れる感情のやり取り、その会話に横たわるもの、それはやはり〝愛〟なのだろうか。

と、ツラツラと書き連ねているがハッキリとした結論のようなものはわたしには生まれていない。上手くいえないけれど、あけすけな性描写に何をみるかというところにも色々と感じる事もあった。そこには軽々しく語れない複雑な感情がある。しかし、そういった混沌も含んだ上で、わたしはベラの旅とその行きついた先に光を見た気がする。ベラが〇〇になる、と宣言した時にパァァ…と世界がキラめいたような感覚。一筋縄ではいかない語り口ではあるけれど、くっきりと心に刻まれる作品なのでした。