妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

黙ってはいられない。【映画】『ロスト・キング 500年越しの運命』雑感。

映画『ロスト・キング 500年越しの運命』予告編 - YouTube

f:id:mousoudance:20231008180550j:image

スティーヴン・フリアーズ作品は全てを網羅しているわけではないけれど、作中で主要人物が〝感情がピークに達する寸前で押しとどめる〟或いは〝言うべきことを心のうちに秘する〟ケースが多い気がする。『マイ・ビューティフル・ランドレット』の青年ふたりや『グリフターズ』の親子関係、『ハイ・ファディリティ』や『あなたを抱きしめるまで』の主役もそうだった気がする。人というのは、おおよそそういうものだ、と言えばそれまでだけど、そういった〝寸止めの美学(或いはそれが生み出す悲劇)〟を描いてきたという個人的な印象。

今作でもフィリッパとジョンのデリケートな感情の交差等、いくつかの場面でそういったところはあった。しかし、フィリッパはどちらかと言うと物を言っていく人間だ。人事の査定に納得しなければ、同僚の制止を振り切って怒鳴り込んでいくし、リチャード三世の正当性を声高に叫ぶ。

そういった人間は社会からは疎まれてしまう。周囲の人間はフィリッパのそんな行動を当初は諌め、改めさせようとするが、彼女は突き進んでいく。何故なら、そうしないと生きていく事が出来ないからだ。

リチャード三世がその行い(働き)に見合う評価を得られずにいること、そこに疑問を抱き彼の正当性を獲得していこうとする行為は、すなわちフィリッパ自身の不当な扱いを清算する為でもある。胸くそ悪くなるほどの自己保身と無理解に溢れたこの世界で、生きていくためには、その人がその人に見合うリワードを得られることを証明しなければならない。その闘いはハードなものだ。

先日観た『バーナデット』同様〝自分探しの旅〟的なものを想像して臨むとガツンとした歯応えに心エグられる事になる。「お墓見つけて、フィリッパ凄いね」みたいなクリシェには収まらない、そんなエグみもある。〝事実を基にしたストーリー、そして彼女の物語〟と冒頭で宣言された通り、これはリチャード三世同様にフィリッパの闘いの物語でもある。一見味方のように見える人物の煮え切らない態度等によって彼女が受ける理不尽の寄る辺なさ。と、同時にそういった理不尽さを所謂「清濁合わせ飲む」ような現実として否定しきれない自分もまた存在している。すなわち、自分もまたこの胸くそ悪い世界の一部であるかもしれず、そういうものを突きつけてくる鋭さもあった。

サリー・ホーキンスを始め、演者は皆印象的だった。曇天と皮肉の効いた会話などイギリス映画らしさもあって、軽々しく面白かったと言う事に躊躇するところはあるけれど、とてもいい映画だった。ひとつ付け加えるとすれば、『スカイフォール』のネタバレがあるので未見の方はご注意を、というところだろうか。