妄想徒然ダイアリー

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ウチに帰って泣きながら肉を喰らうわたし達へ。『眉村ちあきの音楽隊EP3 東京公演』雑感。

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随分と久しぶりの現場となった。仕事や家の事情でタイミングが合わない事が多く、気がつけばかなりの時間が経過していた。それ故に何となく気後れしながら六本木に向かった。

結論から言うと、最高でした。眉村さんのLIVEは、やはり楽しい。バンドセットもとても良くてパッケージとして完成されている印象。

先ずは大森靖子さんのステージから。わたしは彼女の良いリスナーではないし、パフォーマンスを観るのも2度目だ。だから、見当違いな事を言うかもしれないけれど、冒頭からいきなり鈍器を振り下ろすような表現力でこちらを圧迫してくる。誤解を恐れずに言うのなら不協和音のような居心地の悪さを塊でぶつけてくるような感覚だったけれど、それは「孤独を終わらせるのではなく、個々の孤独を慈しむのだ、わたしは」という彼女なりのメッセージの表れなのだと思った。オープニングアクト的に眉村さんが歌う『絶対彼女』には、拭いきれないキュートさがあったけれど、大森さんがこの夜に放った『絶対彼女』にはルサンチマンと呪詛のようなものが強く感じられたし、それが多分ふたりの愛の表れの違いなのだろうと頭の片隅で考えたりもした。なかなか得難い1時間だった。

セットチェンジの後、いよいよ眉村さんが登場してくる。始まるまでにわたしの中にあった不安・気後れは「果たして今のわたしの中に眉村さんのLIVEを楽しむ細胞が残っているのだろうか」というものだったけれど、そんなものは杞憂だった。『秘密の恋』で幕開けした瞬間に、そこは〝眉村ちあきのLIVE〟という空間になる。

(このバンドセット、良いじゃないか)と思っている矢先の『おばあちゃんはサイドスロー』でこの日のLIVEの成功は約束された、と言いたい。元々大好きな曲だったけれど、これほどまでにファンクでグルーヴィに溢れていただろうかと思うくらいバンドとの相性が良かった。まさに音楽隊の紹介のような位置付けでもあり、自然に動く身体がその楽しさを証明している。コレだよ、コレ。そんな気持ちになっていた。

『individual 』でステージから客席に降りてくる眉村さん(みさこ)の姿や『本気のラブソング』で会場の隅から隅までひとりひとりの顔を見つめていく様に、かつてのLIVE空間が戻ってきたという感慨もある。

f:id:mousoudance:20230429040215j:image(この日数少ない撮った写真のひとつ)

そしてこの日わたしの心を捉えたのは『肉喰え』だったかもしれない。パンクの趣のある曲調も良かったし、何しろ曲後のMCが素晴らしかった。

「突然目の前に突きつけられる悪意にわたしは〝へへへ〟と笑う事しかできない。そしてウチに帰って泣く(大意)」というのはまさにわたし達の事だったし、この時ではなかったかもしれないけれど「わたし達は一個の生命体だ」的な事も言っていて、つまりは「(自分と同じように)生きづらさを抱えているオマエらも、ひとつの塊なのだ。(少なくとも今夜、この場所では)というメッセージが妙に身体の中に染み込んできた。

そう。何となくだけどMCが凄く洗練されているような印象がある。自由奔放に感情の赴くままにトークをしていく事も彼女の魅力ではあるけれど、そんな要素も残しつつジェイプアップされた語り口にわたしは素直に感心した。「おもてなし子」や「未来の僕が手を振っている」への導入のメッセージもストレートに響いてくる。わたしはそれがとても良いと思ったし、そういった洗練さは必要なことのようにも感じた。

バンドセットであった事と関係あるかどうかはわからないけど、久しぶりに眉村さんの曲を浴びているとメロディメイカーとしての才能を改めて認識したりもした。身も蓋もない言い方だけどもっと売れていいのでは、という思いも駆け巡る。

巡るけれど、そんな事もまたどうでもいい話だった。眉村さんの白いテレキャスターを観て思う。そうだ、わたしはまだ大丈夫だ。