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アラレちゃんにはならない。【映画】『アリータ:バトルエンジェル』雑感。

中学二年生から感性は変わってない気がするが、それでもこの年になるまで色んな経験をしてきた蓄積というのもあって。

という事で観てきました。

『アリータ:バトルエンジェル』

f:id:mousoudance:20190303200705j:image映画『アリータ:バトル・エンジェル』予告【覚醒】編 - YouTube

10代の頃なら「アリータ最高!モーターボールのシーン、燃えるよね」とウキウキして劇場を出ていただろう。20代の頃なら「アクションは悪くないけどストーリーがねぇ…。ちょっと散漫な感じだし…。でもザパンとかのビジュアルはいかにもロドリゲスが好きそうな感じだよね。あとアリータの目がさあ…」と友達と飲みながらグダグダ言っていた気がする。

そして今はどうかと言えば、ほとんどイドの立場でアリータを見ていた。年頃の娘を気にかける親のように。

イドに命を吹き込まれたアリータが目覚め、世界の様々にその大きな瞳を輝かせて触れている彼女の姿はまさに子どもが成長する輝きにも似ている。

おそらくアリータの出自については薄々勘づいていたイドは彼女が〝覚醒〟しない事を願っていた筈だ。その〝身体能力〟を活かしてスポーツに興じるのも良いだろう。或いは将来自分の後継者として診療所を任せるのも良いかもしれない。いずれにしても殺戮や争いとは無縁な生活を送らせてやりたい。それがイドの求める〝平穏〟なのだろう。

それはもちろんエゴだ。亡き娘の名前を付け服を与えているのはイドの勝手な押し付けでしかない。アリータに取ってそれは強制的に与えられた役割であり本来自分の中にくすぶる欲求や本能は全く別なものだ。だからアリータはそんなイドに反抗し、ヒューゴと夜出かけて行き戦闘本能のままに暴れる。

これはまさに思春期の親子関係そのままだ。親が求める理想像に反抗し、本来の自分の姿を追い求めて成長していく。そして気がつけば娘は成長しているのだ。

そんな視点で見ているとヒューゴに惹かれていくアリータが心配でならない。「そんな男に引っかかって良いのか?もっと立派な青年はいないのか?」

と思ってしまう。もちろん恋する娘にそんな言葉は通用しない。親の言う事なんて聞きゃしない。そんな相手にこそ惹かれてしまうのだ。親が忠告しようとかけた電話はスルーしてもカレシのためなら仕事抜け出してでも飛んでいく。困ったものだね。

 

クリストフ・ヴァルツジェニファー・コネリーマハーシャラ・アリのオスカートリオ。中でもマハーシャラ・アリの存在感はやはり素晴らしい。ただ立っているだけで画面がキュッとしまるというか作品にある種の気品を与える。あとジャッキー・アール・ヘイリー!全然気がつかなかった。あと最後に出てくるあの人ね。

「俺たちの戦いはまだこれからだ」的ラストは続編含んでの事だろうけど個人的にはもう少し決着付けて欲しかったかな。

 

戦いの本能に目覚め兵士として活躍するアリータはもちろんカッコ良く、とてもワクワクさせられる。戦いのシーンはロドリゲスらしいギミックが散りばめられていて自分の中にある中学生マインドが大いに刺激される。

と同時にフト思ってしまう。一方ではアイアンシティの中で平凡な青春を謳歌するアリータの世界もあったのかと。そんな事を思うと少し切なくなる自分もいる。アラレちゃんのようにお転婆アリータちゃんがどこかで無邪気に跳ね回ってるといいな、と。