妄想徒然ダイアリー

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眉村ちあきnew album『劇団オギャリズム』は端っこを歩く者たちのサントラだ!

というのはもちろん口から出まかせで、そんな事言うまでもなくこのアルバムは素晴らしい。

社会のマージナル(端っこ)をヨタヨタと歩くわたし達に愛を届けるアルバム。

それで充分だ。

という事で

眉村ちあき『劇団オギャリズム』

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買ってください。

 

とは言いつつせっかくなので面倒くさいヲタクの御託を並べていきたい。

まず収録曲は以下の通り。

  1. DEKI☆NAI
  2. 壁みてる
  3. 夏のラーメンワルツ
  4. おばあちゃんがサイドスロー
  5. タイムスリッパー
  6. あたかもガガ
  7. 緑のハイヒール
  8. チャーリー
  9. スクワットブンブン
  10. 私についてこいよ
  11. スーパー・ドッグ・レオン
  12. 顔面ファラウェイ

以上13曲。※除くボーナストラック

全てのライブに行けてはいないし、全ての動画を押さえている訳ではないのだが、全く聴いたことのないのはタイムスリッパー、チャーリー、ぬ、の3曲。

発売前にこの並びを見た時、「〝緑のハイヒール〟までがA面だな」と感じた。もちろん単なる勝手な妄想だ。このアルバムはアナログを前提とした作品ではないし、そもそもそうやってアナログに置き換える事にどれだけの意味があるのかも疑問だ。

でも、何となくそういうイメージが浮かんでしまったのも事実だ。そんなイメージを残したままで、いざアルバムを通して聴いてみるとこのA面B面という区切り方も満更悪くないような気がしてきた。

繰り返しますが、これは単なる戯言、お遊びみたいなものです。「歌詞の解説は趣味じゃない」と眉村さん自身が言うようにあーでもないこーでもないとウダウダやらないでストレートに音楽を感じろ、というのがもっともな話ではある。ましてや、わたしのようなど素人がトンチンカンな事を言っているのも如何なものかとは思う。思うのですが、まあ鉄ヲタ撮り鉄乗り鉄とあるように、こんなヲタクがいても良いのかな、なんて。

さて。

〝DEKI☆NAI〟から〝緑のハイヒール〟までをA面、〝チャーリー〟から〝ぬ〟までをB面とするとA面は色んな葛藤や社会の中で生き辛さを感じている「私」のストーリーが描かれ、B面はそんな「私」が内面に抱えるモヤッとしたものを消化/昇華そして浄化して周囲に愛を振り撒いていく展開、とそんな風にわたしには感じられた。

鍵をなくしたり、電車を乗り間違えたり、LIVEがない日は部屋に引きこもったりという眉村さん自身が投影されたかのような冒頭の二曲から〝あたかもガガ〟〝緑のハイヒール〟に至るまでに歌われている「私」は大人の階段を昇っているようだ。〝おじさん〟のアンサーソングのように思える〝あたかもガガ〟ではかなり成長をしていて自分なりの幸せを見つけているし、〝緑のハイヒール〟になると周囲との溝や自分が抱える闇を踏まえつつ、そこから飛び立つような意思が見て取れる。実は個人的に感じている「緑のハイヒールを履いているのは誰だ問題」というのがあって、解釈のしようによってはなかなか面白い説になりそうだが、それはまた別の話。

このように自分を嵌め込んでいく何かから解放された「私」は〝チャーリー〟から愛を振りまく大天使となる。〝チャーリー〟を最初聴いた時に感じた開放感は上手く説明出来ないけど、色々と立ち行かない人生にエールを貰ったような気分になった事だけはハッキリしている。

〝スクワットブンブン〟での内面を見つめつつも、「そんなことよりも傘がない」的に唐突に現れる「健康にいてね」というメッセージ、続く〝私についてこいよ〟の強い意志と頼り甲斐のある背中、〝スーパードッグ・レオン〟の永遠の愛、そして〝顔面ファラウェイ〟と大いなる愛を感じる曲が続く。

〝顔面ファラウェイ〟については1/8(水)に新宿タワレコで行われたリリイベで印象的なシーンがあった。この曲の時にはコールをする者、口上を打つもの、ただ身体を揺らす者、じっとして一音一音を逃さず聴こうとする者…と色んなスタイルで眉村さんに対峙している人がいた。

そんな中で眉村さんがある場面で行なった顔芸が、まさに大いなる愛の為せる技にしか思えず、わたしはその場で笑いながら心の中で泣きそうになっていた。眉村さんのあの顔芸はこの曲に対する様々な思惑をもつ人達全てを肯定する奇跡的な瞬間だった。

コールやMIXをする者を肯定も否定しない、そのどちらも強制もしない、もちろん黙って聴いてもいい、みんな好きにしていいけど、ただ笑顔にはさせる。そんな矜持を感じた。おそらく彼女にそんな意図はなく突発的に取った行動かと思われるが、それが出来てしまうのがこの人の恐ろしさです。

ともかく。老若男女、様々なバックグラウンドを持ちそれぞれのワイルドサイドを歩いているわたし達を赦し、その魂を救済するような愛を届けるのが、このアルバムだと思っている。

生き辛さや周りとの壁、そこから生まれる孤独。それらを否定する事なく個性として受け入れ、さらにはそんな人々に寄り添うような慈愛。そんなものを感じるのです。

え?最後の〝ぬ〟?これは…解りません!眉村ちあきそのもの、というしかない曲です。これは。

 

CD盤にはボーナストラックが2曲ついている。

・アハハハハ

・チャーリー(レコーディング前日までこれになる予定だったver.)

という2曲のうち〝アハハハハ〟はまさにボーナストラック、デザートのような感覚で楽しめる。問題は〝チャーリー〟のバージョン違いだ。最初これを聴いた時は文字通り耳を疑った。通常ボーナストラックになるバージョン違いといえば、アレンジが違うとかそんなものだ。アコースティックバージョンとかデモテープとか。しかし、この〝チャーリー〟は違う。全く別な曲だ。

何がどう違うかは是非聴いてみてほしい。間違いなくひっくり返る。そしてアルバムバージョンをすぐ聴き直すだろう。そしてまたそのアルバムバージョンの歌声に震えることになる。

なのでオススメの試聴方法は、13曲まで聴いたらボーナストラックは飛ばして最初からリピートをする。何度かリピートしたのち、ひと息入れる。そして余韻を楽しみながら、おもむろにボーナストラックを再生する。そうすれば100倍幸せになれると思います。