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〝また今度〟なんてないのよ。【映画】『秘密の森の、その向こう』雑感。

『秘密の森の、その向こう』

『秘密の森の、その向こう』本予告 - YouTube

『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマ監督作という事で、かなり期待のハードルを上げて臨んだ。

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いや、良かったですね。上映時間も73分とコンパクトで小品という感じではあるけれど、心にしっかりと刻み込まれる良作。失われてしまったモノを見つめ直し、その上で未来への扉が開くような眼差しには、救済と赦しの徴がある。

静謐な語り口も印象的だった。全体的に台詞が少なく、BGMも(ほとんど)鳴らない。むしろ森を歩く時の木の枝を踏む音や食器の音がBGMのような役割をしているようにすら感じた。そして台詞が少ない事によって、演者の表情がとても重要な要素になってくる。

序盤、車の中でネリーがお菓子をポリポリと食べて、運転席の母親にも食べさせる場面。文字通り、ただそれだけのシーンだけれど、そこには様々な感情や2人の関係性が詰め込まれていた。或いは暗闇の中で懐中電灯に照らされて母親の顔が一瞬露わになる場面。その時の絶望や断絶が入り混じったような表情を目にした時、この作品の方向性が明確にこちらに伝わったような気がする。もっと言うならば、そこでこの作品の成功は約束された。

人物の複雑な内面を複雑なまま切り取る事で、我々観客に想像する余地を残しながら強い印象が残る。「燃ゆる女の肖像」のラストシーンに見られたように、セリーヌ・シアマ作品においては、表情の機微がとても重要な要素なのかもしれない。

そういう視点からみても、ネリーとマリオンを演じた2人がとにかく素晴らしかった。今自分の世界で何が起こっているかを瞬時に感じ取り、戸惑いながらもそれを受け入れていく様子がこちらに伝わってくる。悟ったような眼差しをしたかと思えば、クレープを作る場面のような飛び抜けた無邪気さを見せることもあって、そういった複雑さもまた人間そのもののように感じてみたり。

そんな2人の間で交わされる会話にはしばしばハッとさせられた。「秘密は語る相手がいないだけ」「悲しいのは、わたしだけのせい」「今度なんてない」「謝らないで。いい時間だった」などなど。達観や悟りを感じるやり取りは、ファンタジーと同時に妙なリアリティもあった。

冒頭、半ば義務的に発せられる〝さよなら〟が、終盤においてとても大切な別れ(と再会)の言葉へと変わる場面がまた良い。やり直しと再生、そこにある救済と赦し。そういったものが一言に集約されていて、とてもシンプルで派手な仕掛けもないけれど、鳥肌が立つほど感情が沸き立つ場面だった。

作中で多層的に存在している母娘関係は〝継がれていくもの〟(例えば、ネリーの歩き方にさりげなく表現されているように見えたけれど、それはわたしの勘違いなのかもしれない)を示しているようにも思えた。ラストシーンでネリーが発するその名前は過去と現在とそして未来を円環構造のように結びつける。そしてわたしは、ふと祖母の葬儀で涙を流していた母親の姿を思い出したりもするが、きっとそれはまた別な話だろう。