妄想徒然ダイアリー

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かしゆか以外かしゆかじゃないの。『Perfume 9th TOUR 2022 〝PLASMA 〟10/29(土)さいたまスーパーアリーナ』雑感。

さいたまスーパーアリーナといえば、個人的どうしてもこの記憶が呼び起こされる。


気がつけば手のひらを突き出していた。 Perfume JPNツアー@さいたまスーパーアリーナ - 残像つれづれダイアリー

あの頃も世の中は大きな混乱を引き摺っていて、そういったものを浄化するようにわたしは遠く400レベルの席からPerfumeに手を掲げていたように思う。だからという訳でもないけれど、広島でゲットしたマイメンTシャツを準備して出発に備えていたが、ふとあの時に買って包装も解いていなかったJPNリストバンドをカバンに仕込むことにした。

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チケットの管理番号的に400レベルを覚悟していたが、発券すると200レベルの中央付近。いや、充分充分。広島がアリーナの前方だったので、今回はステージ全体を見渡せるという意味でも良い席。というか400レベルの席は使用していないようだ。それはそれで色んな思いもあるけれど。

ほぼ予定通りの18時に開演。冒頭の登場シーンが相変わらず素晴らしい。80年代のSF映画の趣きを感じながら天空から降りてくる3人を観ているだけで細胞が反応している。セトリもこれまで観てきたものと基本的には変わらない。しかし、ステージとの距離や観る角度が少し変わるだけで、それはまた違う顔を持つ。わたしの席から3人の表情は視認出来ないけれど、それでもモニターを眺めるよりもステージ上に視線をやる方が、〝そこにいるPerfume〟を体感できるような気がしている。

いつものようにかしゆか→のっちの順番で最初のMCが始まる。その大きな慈愛で観客を包み込むようなかしゆかと、力強くわたし達を鼓舞するのっち、といういつもの流れだ。そして、いつものようにあ〜ちゃんが登場してきた訳だけど、今日はここからが長かった。

10年前、同じさいたまスーパーアリーナで通路を駆けっこした想い出話をしながらも、いつになく真剣にライブ声出しの話題になる。そして「例の仙台」の話になると、思いのほか突っ込んだ表現で忸怩たる思いを吐露するあ〜ちゃん。自虐ネタ風なモードも混じりながらではあったけれど、やはり色んな想いがそこにはあって、多分30〜40分くらい話し続けたんじゃないだろうか。

あれは何年前だったろうか。レベル3ツアーの東京ドーム追加公演。あの時、あ〜ちゃんは「ウチらの事、見捨てんといてね。みんなのこと、信じとるけんね」という発言をしていて、あの頃も変わりゆく何かを彼女(達)の中で感じ取るような事があったのかもしれない。そして、何となくいつか訪れてしまうだろう「その日」の事を考えてしまったりもする。しかし、今は(声は出せないけれど)背中を押すのがわたし達の出来る事だ。そういった想いがあれば3人はいつまでも〝ステージに立つ〟という事なのだろう。

その長いMC明けからのライブパートからエンディングまではあっという間だった。ステージ上に当たるスポットライトが作り出す影を観ながら、わたしは〝今、こうしてライブを体感している事〟の尊さを思った。「Party Maker」で会場全体がまさに祝祭空間になっている時、わたしは少し泣きそうになっていた。身体を揺らし、手を掲げるその行為は、神事の儀式の一部のようだった。極端に言えば、世の中は、このライブがある事で辛うじてバランスを保っている、というような事まで考える。

最後のMCであ〜ちゃんが言うように、ライブは生き物(LIVE)であって、今日のライブは今日しか見られない。セトリが同じであっても、それぞれが別のライブ、別の人生の1ページとして存在している。見る場所によって見えている風景が違うように、今日わたしが目撃し体感したものは、唯一無二なものだ。わたしだけの〝あ〜ちゃん〟や〝かしゆか〟や〝のっち〟がいたように、誰かだけの〝あ〜ちゃん〟や〝かしゆか〟や〝のっち〟がいて、それぞれがマルチバースのように存在している。わたしが今日体験した2時間半は、他のものとは交換し難い貴重で尊いものなのだ。仙台のライブも同じように。

3人が天空へと帰還し、円筒状のスクリーンに映し出されるエンドクレジットのような映像を眺めながら、だからこそ日々の一瞬一瞬を愛おしまなければならないと感じていた。いつか来るであろう〝その日〟の事は、今はまだ考えられない。ただコツコツと日々を生活(LIFE)しながら、次のステージを待つしかないのです。だからまだ、体感していない人は是非、残りの公演に飛び込んでみて欲しい。今、観られる、その時に。