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片腕が失われる映画の変則版。【映画】『MEN 同じ顔の男たち』雑感。

エクス・マキナ』は好きな一本で、アレックス・ガーランド作品というだけで無条件で観てしまったけれど、鑑賞直後でまだ消化しきれていないし、そもそも年明け早々に観る映画でもなかった気もするけれど、ガツンと価値観を揺さぶられるくらいのインパクトがあるものを鑑賞することにも意味があったと思ってみたり。
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『MEN 同じ顔の男たち』本予告<12月9日(金)公開> - YouTube

序盤から不気味で不穏なムードに溢れていて、何気ないショットにも心がザワザワする。序盤の廃トンネルでハーパーが反響を利用してミニマルミュージックを完成させるくだりにはエクソシストチューブラーベルズを思い起こさせて、この「ハーパー、ハーパー」のリフレインが終盤にも恐怖を掻き立てる要素にもなっている。

序盤の〝なんだか分からないけど不気味で怖い〟という展開が、終盤になるにつれ意味合いを帯びてくるしそこにはメッセージがあるけれど、それを語る事に対して躊躇してしまう。それは『プロミシング・ヤング・ウーマン』における「物知り顔で理解者のふりをする人」のようになってしまうという危惧が理由だけれど、終盤のある展開において、従来のホラー映画の主人公であれば叫び狂うような場面でハーパーが何かを悟ったようにそれを(溜息と共に)眺める、というか一瞥する姿に何かを感じとってしまう。ハーパーの眼差しは、脈々と続いていく断ち切れない男性性の再生産への諦観のように見えて、それがわたしの何かを刺激する。結局のところ愛だのなんだのとフワフワとしたものを持ち出して他者へ何かを強制/矯正する構造は異性間に限らずあらゆる関係性の中で起こり得る事でもある。

というのはやや解釈を拡げ過ぎかもしれないけれど、とにかくハーパーを演じたジェシー・バックリーが良かったです。彼女の存在感、佇まいが観客に誤謬へと誘う効果も有していて、その事が不安を最後まで維持させている。「はい。実はこういう事でしたー!チャッチャラー!」という答えを与えない事でわたし達は色々と考えてしまうのだ。個人的にそれは良かったと思う。細かい事は言えないけれど、友人の姿をどのように解釈していくかも出来る事なら日本酒を飲みながら誰かと語り合ってみたい。

エクス・マキナ』を観た時、「嗚呼、またひとつ〝片腕を失う〟映画の系譜のラインナップが追加された」という感想を持ったけれど、今作も変則的であるけれど、そのひとつに加わったと思う。そしてジェシー・バックリーの眼差し、最高でした。

「で?アンタは何がしたいのよ?」