『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』ファイナル予告 6月16日(金)全国の映画館で公開 - YouTube
スーパーヒーローが全ての命を救える訳ではない。同時に助けられる対象は限られている。例えば、そういうジレンマを敢えて前面に出すことで、インフレ気味に(まさにマルチバースのようにMCU世界とも繋がる事で)拡がっていく世界はポストモダン的になる。
スーパーヒーローとヴィラン、即ち善と悪という図式は相対化されて、そこに主人公達の心の葛藤の描写も加わってくる。今回はグウェンとマイルスのそれぞれについて同じような構造の話が続く為に、どうしてもテンポという意味ではややノリにくいリズムになっていた事も否めない。
とはいえ、それぞれの親子関係や〝with great power〟問題に絡めた描写はザクザクと心に突き刺さってくるし、やはり画力(えぢから)のパワーが半端ない。序盤のグウェンとステイシー署長とのやり取り或いはマイルスが母親と交わす会話が後々になって効いてくるところだけでも白飯5杯はイケルくらいの価値がある。居場所を求めて他の世界へ行く事、或いは新たな世界で居場所がなくなった時に戻っていく場所。そういった事を考えると目頭が熱くなってしまうのは歳を取ったという事だろうか。どうしても親目線でグウェンやマイルスを見てしまうんですよね。いっそグウェン視点に全振りしても良かったじゃないか、というくらいに思ってしまうのは描写の繊細な描写とヘイリー・スタインフェルドの声との化学反応で生まれるものが素晴らしい事もあるのかもしれない。
全ての人間を助ける事は出来ないという事実と大いなる力に伴うとてつもない責任と親愛なる者を救うというパーソナルな問題。それらを矛盾なく成立させる事は困難で、ましてや〝組織〟や〝社会の成り立ち〟の整合性を維持するためにはミゲルのような振る舞いもまた理解は出来る。そして、ふと思うのは過去のスパイダーマン作品の中で描かれた「ベンおじさんの死」を自明の出来事、起こるべきイベントとして受け入れてきたわたし達もまたミゲルと同じように原理主義的にそれを守ろうとする側に加担していたのではないか、という事だったりもする。
ともかく。そうした運命に抗うマイルスが覚醒していく終盤に一気にドライヴがかかってきて身体中の血が熱くなっていくし、そこへ持ってきてグウェンのアレ。ラスト30秒の盛り上がりは半端なくてエンディングには思わず「!!!!!!!!(えええええええ?マジか?)」となってしまった。そんな作品もまた久しぶりな気がする。
そういう意味では贅沢な予告編であった、という感想もあながち間違いではないのかもしれない。あとスパイダーパンクの青レンジャー感のあるクールさとツンデレ具合、好きです。