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劇場版と言う勿れ。【映画】『ミステリと言う勿れ』雑感。

映画『ミステリと言う勿れ』予告【2023年9月15日(金)公開】 - YouTube

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テレビドラマの映画版というものには、基本食指は動かない。どんなにテレビシリーズを楽しんだとしても、映画になった途端にどうしても安っぽさが目についてしまって耐えられないことの方が多い。テレビサイズ感の強い画角、深みのない画面のルック、説明的で大げさな台詞回しや〝良さげな場面で良さげな音楽が流れる〟といったネガティブな要素にガッカリする事が目に見えているからだ。

今作も、そういったマイナス要素がないわけではない。例えばちょっとしたコメディシーンなどは、テレビで観ている分には問題ないけれど、劇場で他の観客に混じった状態だと何とも言えない居心地の悪さを感じたり、とか。ただ、そういった点は余り瑕疵として気になるものではなかった。

あとは広島が舞台というのも鑑賞を後押しした。フィクションの世界で広島弁を耳にするとどうしても違和感を抱いてしまうものだけれど、そういったストレスは全くといって良いほどなかった。やや誇張された新音(萩原利久)も理紀之助(町田啓太)の絶妙なバランスな感じも良かったけれど、木場勝己さんの文字にすると判らないくらいの僅かなアクセントの抑揚にあるリアリティが印象に残る。

そしてわたしは相変わらず〝赦しと救済のサイン〟に惹き込まれてしまう。事件に関わる人の心を(時には犯人でさえも)ほぐすようにしてサルベージする整くんの言動や眼差しには、抗えない魅力がある。謎解きそのものは、ストーリーの展開が進むに連れてある程度は予想されるものでもあって大きな驚きはなかったけれど、それは余り大きな問題ではない。むしろ解かれた謎を巡って人たちがどのように変化していくのか、というのがひとつのポイントだったという感想となる。

そういった描写は久能整(菅田将暉)や汐路(原菜乃華)のやり取りに集約されていたけれど、2人の演技力によってクリシェとしての陳腐さがギリギリ回避されていて、ひとの心が救済されていく様を素直に受け入れられるレベルに昇華されていたように思う。

それだけに取ってつけたようなテレビシリーズとの連続性は〝劇場版(或いは所謂イメージとしてのフジテレビ映画)〟の良くないところにしか思えず個人的には蛇足でしかなく残念ではあったけれど、気がつけばKing Gnuのカメレオンを鼻歌で歌いながら劇場をあとにするわたしなのでした。