妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

穴だらけでも、やる。【映画】『ゴジラ-1.0』雑感。

【対ゴジラ篇】映画『ゴジラ-1.0』《2023年11月3日劇場公開》 - YouTube

f:id:mousoudance:20231103213755j:image

例えば敷島(神木隆之介)の〝生き残ってしまった〟事に引き摺られる人生や典子(浜辺美波)と明子によって形成される疑似家族といった要素はそれ自体に目新しさはなく、また人物を捉えた画角サイズや感動的な場面にそれっぽい音楽といった所謂〝日本映画の良くない要素〟が時折顔を見せる、というノイズがない訳ではない。しかし気がつけば、わたしは満足した表情でスクリーンを眺めていた。なんだったらエンドクレジットの後に劇場で拍手をしたいくらいに(実際にはしていない)感情の昂りがあった。

山崎貴という名前はある層にとっては、一定の距離感を保つタイプの映画作家ではあるけれど、今回については(少なくとも特撮・怪獣映画という面において)賞賛に値する。その圧倒的なパワーと容赦なく街を破壊し尽くしていく時の絶望感、恐怖の塊としてのゴジラ正義や大義も無力化していく存在に痺れるしかなかった。

とにかくゴジラの登場するシーンが素晴らしい。『ジュラシック・パーク』や『ジョーズ』、『ダンケルク』への目配せ(『バトルシップ』は…考えすぎかな?)も微笑ましいし、白組の本領発揮というVFXシーンには圧倒された。正直『三丁目の夕日』には、「凄いね、ハイハイ」という感想を持つわたしだけれど、今回は身体中のアドレナリンが沸騰していた。去年の暮れに体験した『ゴジラ・ザ・ライド』の恐怖と絶望感を思い出したりする。(というのが、映画にとって幸福な事なのかは判らない。)

クライマックスで展開される作戦は、(空想科学という前提だとしても)ロジカルなのかどうか判らないけれども、充分な火力が与えられない状況での「最適解」としての説得力はあった。

人々が作戦参加の意思を表明していく場面には、命を失うレベルでのやりがい搾取について考えさせられたし、クライマックスで「今、出来ることをやるしかない!!」と叫ぶ指揮官には別な意味での絶望感があった。どれだけ意図的であったかどうかは別にして、世の中(それを国家と言い換えてもいいけれど)が最悪の事態へと突き進む過程を見せつけられているような恐怖が増幅された気もする。

あとは、やはり伊福部テーマですよ!!当たり前だけど。流れるタイミングや背景含めて「コレだよ、コレ!!」と言いたくなる。本来、このテーマというのはこう使われるのが正しいよな、と改めて感じたりもした。

ドラマ部分に言いたい事もあると言ったものの、それでもクライマックスに込められたストレートなメッセージにはグッと来てしまった自分がいたりする。泥臭くてもシンプルにそうあるべきだと感じさせるリアリティがあったという事だろう。

「最後はどうせ、ゴジラが海へ去っていくんだろ?」といタカを括っていただけに、あんな事していいのか?と少しビックリしたというのも事実だけれど、いい落とし所だったと思う。

そして、わたしはある場面で明子が敷島を見つめる表情がどうしても頭から離れない。そこにはフィクションとリアルの境界線を曖昧にするスリリングさがあって、それはゴジラという存在がわたし達のリアルな問題に関与していくことの証だった。というのはもちろん口から出まかせですけど。