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ファントム・オブ・墓場。鬼太郎−1.0【映画】『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』雑感

映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』本予告[11.17(金)公開] - YouTube

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半世紀以上の長く親しまれているコンテンツでありながら、その誕生について知っている事は少ない鬼太郎(と目玉おやじ)というキャラクター。もちろん『墓場鬼太郎』を読んでいる(あるいはアニメ化されたものを観ている)者は一定量いるけれど、多くの人は気がつけば縞々チャンチャンコの鬼太郎とお茶碗風呂に浸かった目玉おやじの姿を当たり前のように受け入れていた、という感じではなかろうか。「鬼太郎の片目な部分は元々目玉おやじだっけ?」と思っていた人も少なくないだろう。(わたしも子供の頃はぼんやりそう思っていた気がする)

そういう意味で若き目玉おやじの物語に焦点を絞ったところがとても新鮮だったし、だからこそわたしも観てみたいと思って劇場へ向かった。

墓場鬼太郎』の設定を使いつつ、水木と鬼太郎父との出会いにオリジナル要素を加えたストーリーは飽きさせない。閉鎖的村社会で巻き起こる猟奇的事件を解き明かすミステリー的展開に、やや既視感(多くの人が思うように横溝正史のパロディ的な)はあるものの、水木たちに徐々に生まれるバディ感も相まって謎解きに惹き込まれるようにできていた。

また、〝人は変われるのか?忌まわしい過去を清算できるのか?〟というテーマも垣間見えた。水木は当初、目ざとく立身出世していく方向へ人生のベクトルを向かせている。そういう方法でしか生き抜いていく事が出来ないと彼は思っている。牢屋に囚われている鬼太郎父の横で、バリバリと食事を貪り食う姿は生への執着そのものだ。もちろん、それは水木の戦争体験に基づくもので、彼がフラッシュバックさせる記憶の中には、組織の中で歪んでいく人間性、その醜さがある。水木サン(水木しげる)の体験が色濃く反映されたと思われるそういった戦時中の描写には〝大きな組織が個人へ強制/矯正してくる大義というものの醜悪さ〟がある。そういった醜悪さをある種の覚悟で持って引き受けるように生きてきた水木が、鬼太郎父や沙代、時弥との出会いによって徐々に変容していく。閉鎖的な村社会で抑圧され虐げられている弱者のリベンジや魂の救済、解放の物語の一役を担う姿には、クリシェといえばそうなんだけど、やはりグッと来てしまう。欲を言えば、エンディングの展開が少しバタバタしていたという印象がある。もう少し、ベタなくらいの流れでも良かった気がしないでもない。テンポよく畳み掛けるように盛り上げる要素が足りなかったというのがわたしの印象。『墓場鬼太郎』の設定を上手くアレンジした展開がとても良かっただけに構成がちょっと勿体なかったかな、と。

それにしても。ここにきて主要登場人物が戦争体験のトラウマを抱きながら生きているという作品が立て続いた。ともに大きな脅威と戦いながら〝生き残る〟或いは〝命を繋いでいく〟という選択に行き着くという共通点があった。だから、何だという結論はないし、それが今求められているパラダイムなのだという気もない。ないけれど、そういう事って時折起こるし、それが2023年という時代だったという事の証だけは残るのかしら。