妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

この臭いは拭いきれないのか。【映画】『パラサイト 半地下の家族』雑感。

風呂なしアパートに住んでいたハタチそこそこの頃は、やはり高台の住宅地は眩しく見えて思わず呪詛めいた事を呟きたくもなっていた。『天国の地獄』の山崎努にシンパシー、いやシンパシーというよりは否応なく同調させられて無駄にルサンチマンを溜め込んでいた気がする。

という事で観てきました。

『パラサイト 半地下の家族』

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予告編→ YouTube

裕福な家庭に徐々に侵入いや浸透していく様子が描かれていく過程は、通常であれば被害者である家族側の視点に立って侵入者への恐怖を感じるホラー的展開になる筈だ。

しかし、わたしを含めて多くの観客はキム一家がコンゲーム的に計画を進めていく様子をある種の快感を抱きながら眺めていたのではないか。それはユーモラスな描写であった為でもあり、また彼らキム一家がパクさん一家には決定的な被害を及ぼしていないからでもある。

彼らが犯しているのは、せいぜいが留守の間に宴会を開く程度で彼らの生活そのもの、その根本を激しく脅かすには至っていない。ある時点までは。

ソン・ガンホは流石という他なく、本来であれば恐ろしくなる役どころにピュアネスすら与えていて、その存在感が素晴らしい。

その他のキャストも皆魅力的だ。パグさんの奥さんや娘さんダヘちゃんも可愛らしい。

しかし特に印象的でわたしの心を捉えたのは、妹ギジョン役をやっていたパク・ソダムだ。彼女の醸し出す退廃と絶望感が産み出す美しさ。ある場面でタバコを吸う場面、心奪われた。

※これよりネタバレ状態になります。

 

パクさん一家がキャンプに出かけた日、キム一家は豪邸で伸び伸びと暮らす。無論それは許されない行為ではあるが、ささやかな楽しみに過ぎない。大きなリビングにいながら半地下の家にいる時と同じように身を寄せ合っているキム一家の様子は、窓から見える風景は違ってはいるものの普段の生活と地続きと言っていい。

留守の主人の不在時だけの試み。彼らが戻ってくるまでには粛々と元の状態に戻し、パク一家の生活を壊す事はしない。ほんのちょっとだけ、彼らの腹が痛まない程度、そのレベルを逸脱するつもりはキム一家にはない。

そんなキム一家の計画が崩れるのは、本当のパラサイトが現れたからだ。リアルな地下室でゴーストのように暮らしているパラサイトが今度はキム一家の目論見を崩壊させる。

しかしパクさん一家からしてみればキム一家も地下室のパラサイトも変わらない。同じ臭いを放つ異物だ。いくらケヴィン先生やジェシカ先生の振りをしていても身体に染み付いた臭いは拭いきれない。パクさん一家の善意は無意識に残酷さをもってキム一家を追い詰める。

大雨とともに高台の汚れは洗い流され、その汚水がキム達の家に向かっていく。便器から溢れる汚水を浴びながら煙草を吸っていたギジョンは、その翌日にジェシカとなってドレスを着てパーティー会場にいる。もしかしたら贖罪の意識で何かを取り戻そうとする希望を持っていたかもしれない。しかしそんな思いは胸を刺されて「クソッ」と呟いた瞬間に消え去った。

娘ギジョンが刺されたその同じ位置を狙い定めてパク社長を刺殺した時のキム父は誰の為に誰にリベンジをしたのだろうか。

ギウが最後に見た赦しと救済のイメージは半地下の現実とともに我々の目の前から消えていく。おそらくそれは実現しない幻だろう。しかし、その幻を夢見ることぐらいは半地下の住人にも許されてもいい筈だ。

GOP、GOD、GOT【映画】『ロング・ショット』雑感。

それにしてもMCUゲーム・オブ・スローンズが現代アメリカカルチャーの必須科目になっている事を改めて感じる。

ま、3話くらいで挫折したままなんだけどGOTは…。

という事で観てきました。

『ロング・ショット』

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予告編→YouTube

いやー面白かった!!!

下ネタオンパレードで展開していくストーリーでありながら、ロマンティック・コメディのフォーマットをきちんと踏襲しているし、最後には、その下ネタそのものが最高のオチとして機能しているところは痛快ですらあった。

女性優位の格差恋愛モノという点では目新しい訳ではないが、過去の作品との違いは、そこに透けて見える差別意識を提示しているところにはなると思う。

それを殊更に声高に主張している訳でもないけれど、例えば〝女性の敵は女性〟的な立ち位置にいたテレビの女性キャスターが最終的には爆発していく姿などを見ると、なるほどいつまでたっても男はクソだな、と自戒を込めて思ったりもする。コーヒーカップくらいで済んで良かったですよ。

それはともかくとして、そういった要素を嫌味なく成立させているのもシャリーズ・セロンの存在抜きには語れない。上手く言えないけど、これがニコール・キッドマンだと話が変わってくるような気がする。いやニコール好きだけどね。

序盤のキリリとした姿も恋に落ちていく姿もブッ飛んでる姿も全てがカッコよくて可愛い。こういうキャラクターをバランス良く演じられるのは素晴らしいですね。

セス・ローゲンの欠陥がありつつもどこか憎めないキャラクターはいかんなく発揮されていて、この作品内でのフレッドはいってみれば〝ヒロイン〟的立ち位置にいる訳だけど、まあでもセス・ローゲン、普通にカッコいいからな。パーティー会場でタキシードビシッと決めた姿なんか普通にイケメンだし。いや、笑わされてそして泣かされましたわ。

2人が恋に落ちていく過程の中でMCUゲーム・オブ・スローンズが話題に上がったりしていたけど、その中で『原始のマン』が混じっていたの最高だった。ほとんど内容も覚えてないけど懐かしい映画。しかし、Encino Manを原始のマンって邦題にしたのは本当素晴らしいよね。

主役2人はもちろん、脇役キャラ達も印象的でそういうところも作品成功の成否に関わってくる。どんなモノでもそうだろうけど、特にコメディにおいては主人公を取り巻くキャラクター達がどれだけ魅力的であるかにかかっている。

そういう意味ではこの作品は完璧と言ってもいい。役の大小、セリフの多寡に関わらず画面に映る人達がみんな(憎まれ役も含めて)印象的に記憶に残る。

アンディ・サーキスも相変わらず素顔が出てこない感じでありながら、良い味出していたし、〝ヒロイン〟の友人役として叱咤激励してその背中を押していたランスのオシェア・ジャクソン・Jr.も良いコメディリリーフぶりだった。「この人なんの作品で観たんだっけ。アイス・キューブそっくりな顔」と思っていたら、そうだよ『ストレイト・アウタ・コンプトン』でアイス・キューブ役やった人じゃん!てか息子じゃん!!

フレッドとランスがケンカになる場面でランスが行った告白のシーンは、笑えるとともに考えさせられもする大事な所で、主義主張が異なる相手と親友のままでいられるのか、というテーマすら浮かんできたり。

ラストシーンまで活躍するランスにご注目下さい。「◯◯、フォーエバー!!」て!

という事で、とにかく笑えてなんだったら泣ける、そんなロマンティック・コメディの快作です!でも下ネタは想像しているよりもド下ネタなのでその点はご注意を。

眉村ちあきnew album『劇団オギャリズム』は端っこを歩く者たちのサントラだ!

というのはもちろん口から出まかせで、そんな事言うまでもなくこのアルバムは素晴らしい。

社会のマージナル(端っこ)をヨタヨタと歩くわたし達に愛を届けるアルバム。

それで充分だ。

という事で

眉村ちあき『劇団オギャリズム』

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買ってください。

 

とは言いつつせっかくなので面倒くさいヲタクの御託を並べていきたい。

まず収録曲は以下の通り。

  1. DEKI☆NAI
  2. 壁みてる
  3. 夏のラーメンワルツ
  4. おばあちゃんがサイドスロー
  5. タイムスリッパー
  6. あたかもガガ
  7. 緑のハイヒール
  8. チャーリー
  9. スクワットブンブン
  10. 私についてこいよ
  11. スーパー・ドッグ・レオン
  12. 顔面ファラウェイ

以上13曲。※除くボーナストラック

全てのライブに行けてはいないし、全ての動画を押さえている訳ではないのだが、全く聴いたことのないのはタイムスリッパー、チャーリー、ぬ、の3曲。

発売前にこの並びを見た時、「〝緑のハイヒール〟までがA面だな」と感じた。もちろん単なる勝手な妄想だ。このアルバムはアナログを前提とした作品ではないし、そもそもそうやってアナログに置き換える事にどれだけの意味があるのかも疑問だ。

でも、何となくそういうイメージが浮かんでしまったのも事実だ。そんなイメージを残したままで、いざアルバムを通して聴いてみるとこのA面B面という区切り方も満更悪くないような気がしてきた。

繰り返しますが、これは単なる戯言、お遊びみたいなものです。「歌詞の解説は趣味じゃない」と眉村さん自身が言うようにあーでもないこーでもないとウダウダやらないでストレートに音楽を感じろ、というのがもっともな話ではある。ましてや、わたしのようなど素人がトンチンカンな事を言っているのも如何なものかとは思う。思うのですが、まあ鉄ヲタ撮り鉄乗り鉄とあるように、こんなヲタクがいても良いのかな、なんて。

さて。

〝DEKI☆NAI〟から〝緑のハイヒール〟までをA面、〝チャーリー〟から〝ぬ〟までをB面とするとA面は色んな葛藤や社会の中で生き辛さを感じている「私」のストーリーが描かれ、B面はそんな「私」が内面に抱えるモヤッとしたものを消化/昇華そして浄化して周囲に愛を振り撒いていく展開、とそんな風にわたしには感じられた。

鍵をなくしたり、電車を乗り間違えたり、LIVEがない日は部屋に引きこもったりという眉村さん自身が投影されたかのような冒頭の二曲から〝あたかもガガ〟〝緑のハイヒール〟に至るまでに歌われている「私」は大人の階段を昇っているようだ。〝おじさん〟のアンサーソングのように思える〝あたかもガガ〟ではかなり成長をしていて自分なりの幸せを見つけているし、〝緑のハイヒール〟になると周囲との溝や自分が抱える闇を踏まえつつ、そこから飛び立つような意思が見て取れる。実は個人的に感じている「緑のハイヒールを履いているのは誰だ問題」というのがあって、解釈のしようによってはなかなか面白い説になりそうだが、それはまた別の話。

このように自分を嵌め込んでいく何かから解放された「私」は〝チャーリー〟から愛を振りまく大天使となる。〝チャーリー〟を最初聴いた時に感じた開放感は上手く説明出来ないけど、色々と立ち行かない人生にエールを貰ったような気分になった事だけはハッキリしている。

〝スクワットブンブン〟での内面を見つめつつも、「そんなことよりも傘がない」的に唐突に現れる「健康にいてね」というメッセージ、続く〝私についてこいよ〟の強い意志と頼り甲斐のある背中、〝スーパードッグ・レオン〟の永遠の愛、そして〝顔面ファラウェイ〟と大いなる愛を感じる曲が続く。

〝顔面ファラウェイ〟については1/8(水)に新宿タワレコで行われたリリイベで印象的なシーンがあった。この曲の時にはコールをする者、口上を打つもの、ただ身体を揺らす者、じっとして一音一音を逃さず聴こうとする者…と色んなスタイルで眉村さんに対峙している人がいた。

そんな中で眉村さんがある場面で行なった顔芸が、まさに大いなる愛の為せる技にしか思えず、わたしはその場で笑いながら心の中で泣きそうになっていた。眉村さんのあの顔芸はこの曲に対する様々な思惑をもつ人達全てを肯定する奇跡的な瞬間だった。

コールやMIXをする者を肯定も否定しない、そのどちらも強制もしない、もちろん黙って聴いてもいい、みんな好きにしていいけど、ただ笑顔にはさせる。そんな矜持を感じた。おそらく彼女にそんな意図はなく突発的に取った行動かと思われるが、それが出来てしまうのがこの人の恐ろしさです。

ともかく。老若男女、様々なバックグラウンドを持ちそれぞれのワイルドサイドを歩いているわたし達を赦し、その魂を救済するような愛を届けるのが、このアルバムだと思っている。

生き辛さや周りとの壁、そこから生まれる孤独。それらを否定する事なく個性として受け入れ、さらにはそんな人々に寄り添うような慈愛。そんなものを感じるのです。

え?最後の〝ぬ〟?これは…解りません!眉村ちあきそのもの、というしかない曲です。これは。

 

CD盤にはボーナストラックが2曲ついている。

・アハハハハ

・チャーリー(レコーディング前日までこれになる予定だったver.)

という2曲のうち〝アハハハハ〟はまさにボーナストラック、デザートのような感覚で楽しめる。問題は〝チャーリー〟のバージョン違いだ。最初これを聴いた時は文字通り耳を疑った。通常ボーナストラックになるバージョン違いといえば、アレンジが違うとかそんなものだ。アコースティックバージョンとかデモテープとか。しかし、この〝チャーリー〟は違う。全く別な曲だ。

何がどう違うかは是非聴いてみてほしい。間違いなくひっくり返る。そしてアルバムバージョンをすぐ聴き直すだろう。そしてまたそのアルバムバージョンの歌声に震えることになる。

なのでオススメの試聴方法は、13曲まで聴いたらボーナストラックは飛ばして最初からリピートをする。何度かリピートしたのち、ひと息入れる。そして余韻を楽しみながら、おもむろにボーナストラックを再生する。そうすれば100倍幸せになれると思います。

扉は閉ざされたまま…か?【映画】『マリッジ・ストーリー』雑感。

地方都市の高校生だった頃には、もちろんシネコンなんてものもなくて、いわゆる大作系以外の良作を観るには小さなミニシアターだけが頼りだった。

しかし今我々にはNetflixがある。なんていうとCMみたいだけど、いやでもそれは本当で、ほぼリアルタイムでアメリカ産の映画が全世界で観る事が出来る。

『ローマ』の例を上げるまでもなくNetflixオリジナル作品のパワーは間違いなく映画界のメインストリートのひとつになっている。マイケル・ベイ印のド真ん中のエンタメもあれば、こういった人間の機微を丁寧に描いた作品まである幅広さ。

という事で観ました。

『マリッジ・ストーリー』

予告編https://youtu.be/hstm3h9bqPU:ニコール版

予告編https://youtu.be/qX231AKYj0Y:チャーリー版

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離婚を描いたドラマは多い。中でも最初に頭に思い浮かぶのは『クレイマー、クレイマー』だ。夫婦の離婚問題を子供の養育権に絡めて描く構造は確かに似ていて、そのアップデート版のようでもある。しかし、『クレイマー…』が結局のところ夫の方にシンパシーの重点を置いている点においてはバランスを欠いていると言えるのに比べると、今作ではニコール(スカーレット・ヨハンソン)にもチャーリー(アダム・ドライバー)にも均一な距離感を維持して描いているという印象を持った。

例えばそれは、息子のヘンリーの両親への距離の取り方に現れている。彼は自分の意思を最も大事にしていて、その意味においては両親ともに同じ距離をキープしているように見える。パパと過ごす番であろうが、行きたくなければママのとこが良いというし、いくらママが楽しそうにハロウィンの準備をしていても疲れていれば行きたくはないと態度で表明する。『クレイマー…』において息子が父親とバディ的な関係を強化するような事は起きない。

結局のところ、夫婦間のズレ(とそれがもたらす子供との関わり方)という本来個々の内面の問題であって第三者が介入しえないはずのトピックが、調停や訴訟、裁判という制度的なプロセスでしか解決出来ないという虚しさがある。

代理人同士の法的戦略を駆使した泥仕合によって2人の関係はどんどんズレていき、では直接顔を合わせて話し会おうとしても会話は成立せず、やがて感情のぶつかり合いにしかならない。

そういったある種の抜き差しならない状況における赦しと救済とは何か、というのが最後に提示された時、わたしは少し爽やかな気分にすらなっていた。チャーリーがニコールの成功に対して投げかけた言葉とそれに対するニコールの返事。小さな断絶がそこにはあるのだが、そういう断絶を超えた繋がりもまた同時に存在する。裁判の結果として生まれた制度的解決とは別の次元で新たな関係性を作り上げることが出来る。静かだが実に良いエンディングだった。

演者達は皆良かった。スカーレット・ヨハンソンはもちろん、脇を固めるローラ・ダーンレイ・リオッタなどベテラン陣の活躍も素晴らしい。老弁護士のアラン・アルダの気品溢れる演技も良かったけど、やはりアダム・ドライバーが最高でした。決してパーフェクトではない欠陥のある人物像を時にユーモラスに時に叙情的に演じた彼の芝居には、確かにオスカー上げたいですね。

監督のノア・バームバックは『イカとクジラ』でも両親の離婚を子供の視点から描いていた記憶があってまた観直さなければならないし、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』もベン・スティラー好きを表明しながら見逃している始末。今作を観るとやはり現代アメリカ映画の中では、そしてニューヨークを舞台にする作家という事ではウディ・アレンの後継者という位置付けなのかな。

撮影も良かった。背景を無機的に切り取るというか、特にLAパートでは全体的に白い色合いになっていて、それが終盤になるとLAもNYにも暖かみが出てくるというか画面が段々と色づいているようにも思えて。あと扉や門などが2人を遮るカットとかも、良い。撮影監督は『女王陛下のお気に入り』の人なんですね。うん、良いルックでした。

という事でNetflixAmazonプライムを検索してノア・バームバックの過去作を観ていこうと思います。

こんな時でも蝉は鳴く。【映画】『この世界のさらにいくつもの片隅に』雑感。

という事で今年の映画初めはこの作品を観てきました。

『この世界のさらにいくつもの片隅に』

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予告編→YouTube

いまさらオリジナルの素晴らしさを問う必要もないくらいで、ただ単純に「もう一度すずさん達に会いたい」という気持ちで劇場に向かった。そして前回同様にボロボロと泣いて劇場を出たのです。冒頭のコトリンゴさんの歌声だけで泣けてくる。

今回、リンさんとのエピソードが加えられた事で作品内の人間関係は大きく変わっている。それはすずさんと周作の2人だけでなく、例えばすずさんと水原哲が過ごしたあの一夜についてもその意味合いが大きく変わってくるかのようだった。呑気でほんわかしたすずさんだけではない、様々な心の動きが見えてくる。単なる嫉妬や孤独感という言葉では表現しきれないモヤモヤとした何かを抱えているすずさんの姿が立ち上がってくる。

そしてタイトルに込められた「さらにいくつもの」という言葉通りに、リンさんはもちろんテルさんや知多さん、小林夫妻、あるいは猫に至るまでそれぞれの人たちにそれぞれの人生、それぞれの世界の片隅があるという、そんな眼差しを感じる。

個人的には〝鬼イチャン〟のサイドストーリーが大好きで、それはオリジナル版でも今作でも特に大きくフィーチャーされている訳ではないけれど、それでも何故か今回は消えてしまった兄がすずさんによって再生されたように感じられた。石ころになった兄を再生させる事は、もしかしたら妹すみの心身を救い出そうとする意図があったのかもしれない、そんな風にすら考えてみたり。おそらくは救うことのできないすみちゃんの病状。南方で戦死したとされている兄を想像の中で蘇らせる事で、すみちゃんの魂を救済しようしたのではないか、と。

音の迫力という漫画でも劇場で観るべき作品のひとつだと思っている。前半で描かれた戦時中の日常を切り裂くように鳴り響く砲弾や爆撃の音。ズシリと身体に響いてくるこの音は劇場でこそ体感したいものだ。Blu-rayも持ってるけど自宅の貧弱なAV環境ではあの迫力はなかなか、再現出来ない。防空壕で晴美さんを守るようにして抱え込みながら激しい振動を耐えている、その時のすずさんの表情!あの、ちょっと上目使いのあの表情は、彼女がまだハタチそこそこの少女であると同時に幼子を守る責任も同時にあってとても印象的なシーンだ。

この作品ですずさんに同化したかのような〝のん〟の声は、画面から流れてくるだけでスッとその世界へ入り込めるような力を持っていて本当に素晴らしい。彼女の声が聴こえてくるだけですずさんのいる世界が目の前に広がる。「片隅に見つけてくれて」という言葉はまるで彼女自身の気持ちのようにも思えてくる。

大正14年という昭和との狭間に産まれたすずさんはもしかしたら令和の時代まで生き続けているかもしれない。そんな風に思うと何か生きることに少しだけ力が湧いてくる気がする。

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2019鑑賞映画マイベスト10的な何か。

週に1回劇場に行くか行かないかという程度で年何百本も観ている訳ではないが、個人的なメモとして。

まず前提としてアイリッシュ・マン』と『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は未見です。

という事でとりあえず10本を。

順位はなくて鑑賞順に並べました。

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クリード2

◯ミスター・ガラス

◯ギルティ

スパイダーマン :スパイダーバース

バイス

◯ハンターキラー潜航せよ

アメリカン・アニマルズ

◯スノー・ロワイヤル

◯ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

◯ジョーカー

 

わー。『ブラック・クランズマン』とか『エンド・ゲーム』が漏れてしまった。そんで日本映画が入ってませんね。というかそもそも今年は邦画ほとんど観なかったなぁ。良さそうなの沢山あったんですけどね。

さて毎年ながら傾向はあるでしょうか。全体的には社会のマージナル(周辺)にいて生きにくさを感じている者達の物語が多い気がします。そこに自分を寄り添わせてるつもりもないし、普通の社会生活を送っているが、時折そういう寄る辺ない感情に心が絡め取られそうになる。

そういう意味で『ジョーカー』のアーサー・フレックはかなりの危険な劇薬だったかもしれない。リストにはないが『ホテル・ムンバイ』における剥き出しの暴力も心をザワザワさせる恐ろしさがあった。或いはアメリカン・アニマルズ』のように「これは俺たちの物語だ」と思わずピカレスクに惹かれてしまったり…。

あとはいつも通りワンスアゲイン、赦しと救済の物語に涙する一年でもありまして。『ワンス・アポン…』タランティーノがもたらしたマジックはとにかく素晴らしかったし、クリード2』ではドラゴ親子の姿に落涙していた。

ドウェイン・ジョンソンの映画もいくつか観た一年でした。ワイルド・スピード/スーパーコンボ』、『ファイティング・ファミリー』、『ジュマンジ/ネクスト・レベル』の3本。特に『ファイティング・ファミリー』ドウェイン・ジョンソン自体の出演は少なかったけど、こちらもワンスアゲインのストーリーが大好物の作品でしたね。ダラダラに泣きました。それにワイルド・スピード…』バイスのとびきりのラストにも繋がるという意味でも貴重な映画体感と言えるかも知れない。

シャマラン好きとしては『スプリット』から『ミスター・ガラス』への流れはたまらない。アンブレイカブルの前フリがここへきて効いてくるというシャマランによる揺さぶりに気持ちが傾いてしまった。もちろん2019年は『エンドゲーム』という大きな時代の終わりを目撃した大事な年ではあったけれどテレビシリーズ『ボーイズ』のようにヒーローを解体する動きも見られてなかなか面白い1年だったかも知れない。

今年改めて気になった人たちを。

ジャック・ロウデンイングランド・イズ…マイン』でのモリッリー役と『ファイティング・ファミリー』プロレスラー役という振り幅のある役柄を。

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こちらも『ファイティング・ファミリー』フローレンス・ピュー。今度、ブラック・ウィドーの相手役やるらしいじゃないですか。期待したい。

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ゾンビランド:ダブルタップ』でのゾーイ・ドゥイッチも気になりましたね。リー・トンプソンの娘って事でコメディセンスを感じる人でした。

あと改めてヘイリー・スタインフェルドちゃんの才能を感じたりして。彼女の出演作にハズレなし。バンブルビーでの彼女は青春映画として間違いない佇まいがあってとても良かったなぁ…。

という事でリストの10本以外にも楽しくて心動かされる作品が沢山あった。どれひとつとして観なきゃよかったという物はなかった。

また来年、良い作品に出会っていきたいものですな。

パーティー行かなアカンねん。『12/29(日)株式会社会社じゃないもん創立2周年記念豪華船上パーティー』

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という事で行ってきましたよ!

前回は社長のドレスコードで来たらいいよ!」というお達しもあり、一応スーツ姿でお邪魔したのですが今回は事前の案内メールに「各自のご判断に任せます」という大人のメッセージ、いわゆるひとつの「平服でお越し下さい」的な感じだったので、はてさてどうしようかなと思いつつやはりここは船上パーティーですので無難にジャケットスタイルで。休日のおじさんコスプレ。

昨年に引き続きの船上パーティーでしたが、明らかにお船のグレードがアップしている。前回はひとつの場所に集められてましたが、今回は飲食スペースも二ヶ所?三ヶ所?くらい別れており、またライブスペースはまた別にあるという感じ。もちろん食べ放題、飲み放題で楽しみました。

感動(感謝?)でいっぱい、略してカンパイ、という社長の御発声でパーティースタート。事前にSNSで緩く募集されていた眉村三大ニュースは眉村さんと谷さんが船内放送で発表。メジャーデビューと免許の話とあと何だったっけ?石掘り?とかなんとかだったと思いますが既に酔っ払っていたわたしは余り覚えてません。

やがて眉村さんの巡回が始まる。この日の眉村さんはアラジンのジャスミンみたいな色味のドレスで登場。当たり前にかわええ。

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一応明るめのレンズを持ってきたけれど縦横無尽に動き回るお姿はなかなか捉えることが出来ない。

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f:id:mousoudance:20191230053037p:image揺れるポニーテールの美しさ。

f:id:mousoudance:20191230053408p:imageお子とお戯れになる社長。ウルトラマンの戦闘ポーズみたいになっておる。もちろんかわええ。
f:id:mousoudance:20191230053417p:imageドレスのファスナートラブル的な何か。とある女性の方がすかさずヘルプなさってました。このちょっと困ったような気まずいような表情。もちろんかわええ。

f:id:mousoudance:20191230053800p:imageおそらく子どもを眺めていると思われる笑顔。ありがたや。

後半は地下のスペースを使ってのLIVE。

f:id:mousoudance:20191230054040j:imageみんなが集まっているかどうか確認する社長。このあとヲタクを召喚するべく〝スクワットブンブン〟を披露。

あとは酔っ払っていたので記憶が曖昧ですが、たしか〝宇宙に行った副作用〟とか久しぶりにLIVEで観た気がします。

途中で〝おばあちゃんがサイドスロー〟のMVを公開。眉村さんのクールなトラックとキレのあるダンス。

YouTube

MVからのLIVEの流れもまた楽しい。

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f:id:mousoudance:20191230054731j:imageサイドスローポーズ、ビッシーと決まる。

そして今年もドラゴンボールが集められていたような気がしますし、途中椅子?をサブステ代わりにしてたりと当たり前ですが楽しい。撮られた写真を見てみるとどの写真にも皆さんの笑顔が写っている。おそらくわたしも誰かの写真に満面の笑顔で写ってる事だろう。

f:id:mousoudance:20191230055245j:imageこの手の角度だけで白飯5杯はイケますぜ。
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途中で一度、(株)会社じゃないもんからのご挨拶コーナー。中でも田中氏が感極まって泣いたのは印象的でしたが、それまで慈悲深い笑顔を見せていた社長が谷さんの挨拶の時に無表情になるのがたまりませんでした。流石、わかってらっしゃる。

f:id:mousoudance:20191230055943j:imageわぽさんの時。

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f:id:mousoudance:20191230060018j:image谷さんの時。この落差!

再びLIVEコーナーへ。下船時間ギリギリまで曲をやってくれて、最後はビバ亀でしたかね。自然と肩を組み身体を揺らすヲタク達の笑顔がこの夜のパーティーの楽しさを物語っているのかもしれません。

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f:id:mousoudance:20191230060430j:image笑顔の中でふと見せる憂いのある表情も好きです。

f:id:mousoudance:20191230060710j:imageあのですね、背中も良いんですよ。俺についてこい感。
f:id:mousoudance:20191230060706j:imageこのまま飛んでいってしまいそうな羽ばたき。

と、いう事で全ての現場へ行った訳ではないですがそれぞれの現場でそれぞれの思い出があり、とにかく楽しませて戴いた一年でした。眉村さんもスタッフの方々も、そして現場で共に同じ空間を共有した皆様方、ありがとうございました。また来年!!