妄想徒然ダイアリー

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あなたの心が見えない。【映画】『透明人間』雑感。

誰もが自分の事を無担保で信用してくれる訳ではなくて、特に今どきは一人歩きする言葉が偽りのイメージをどんどん補完していってそれを覆そうとすればするほど泥沼に…というケースをよく見かけるような気がする。

という事で観てきました。

『透明人間』

https://youtu.be/GGIJ6h5uS7g:映画『透明人間』予告編

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リー・ワネル作品は何だかんだと観そびれていて今回がファースト・コンタクトのようなものでしたが。いや巧いですね。タイトルクレジットも気が利いているし、全体的に抑制の効いた画面のルックと不穏な空気を増幅させる音楽も良かった。

冒頭の緊張感あふれるシークエンス。台詞が全くない数分間のシーンで主人公セシリアの置かれている状況やエイドリアンという男のヤバさを判らせるあたりのスマートさは見事だった。

当たり前のように透明人間の姿は見えない。その見えない姿は何もない場所へパンされるカメラの動き、あるいは無人の部屋の隅をジッと捉えるショットなどによって観客の想像力を刺激し、まるで誰かがそこにいるように思えてしまう。その罠にハマって恐怖が画面を支配していく感じ、かなり好みです。

そしてセシリアを演じるエリザベス・モスの狂気にまとわりつかれたようなアクトが素晴らしい。言わば〝信用できない語り手〟のような立ち位置にあるセシリアが、自らの無実を証明しようとすればするほどアリ地獄のような沼に足を取られていくようなジワジワとした恐怖が迫ってくる。

人の心は見えない。相手の本心は手に取るように確かめる事は出来ない。だからわたし達は互いに理解出来ていると信用して人と繋がるしかない。もし、その信用が揺らぐのであれば、その関係のバランスは一気に崩れ落ちる。疑心暗鬼に支配され、もはや相手どころか自分自身の事すら信じる事は出来なくなる。恐ろしい話だ。

そんなセシリアが孤立無援の状態から一発逆転攻勢に転じようとする姿は頼もしくもあって、それはきっとギリギリの土俵際で失われつつある自分の未来を取り戻そうとする彼女の姿に何か心動かされるものがあったからに違いないが、それがどういう感情なのかは上手く説明出来ない。

ただラストカットでセシリアが見せる表情は解き放たれた勝者の安堵のようにも思えるし、ダークサイドに足を踏み入れた諦観のようにも思えるが、そのいずれにしても狂気とダンスする事を決心したような口元は微かに笑みを帯びていたように見えたのは錯覚でしょうか。