妄想徒然ダイアリー

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ハルよ、こい。『1/16(土)日向ハル生誕祭配信LIVE2021』雑感。

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もう、アレですよ。最高でした。バンドも素晴らしく白いドレスのハルちゃんも素敵で、良いLIVEでした!お誕生日おめでとう!

待機中から唐突にハルちゃんの横顔がモニターに映し出されたかと思うと「inside you」から「あなたのキスを教えましょう」と続き、いきなりクライマックスが来たような感じでこの時点でもう最高。広島地ビールでほろ酔いになった気持ちよさが一気に増幅される。

久保田利伸やドリカムといった王道カバーのゴージャス感は僕らの音楽風でもあるし、おしゃれ30・30の阿川泰子の歌コーナー的な大人の華やかさもある。だれかそういう番組をフィロちゃんズで作ってくれないだろうか。今夜は最高的なヤツでも良いですね。

「いつか大人になって」は何度聴いても沁みてくる。〝春が訪れれば全てがリセットされて、暖かい世界がやってくる事への願い〟が今のわたしには強く感じられて、寄り添うような慈しみを感じる。

「パレーシア」も圧巻でしたね。ドーン!と歌い上げる訳ではない少し抑制の効いた歌い方がしっくりとくるし、奥津さんとはまた違うハルちゃんが放つ色気もなかなかでスッと落とした目線とか射抜くような眼差しという普段見られない表情も印象的。歌の余韻に浸ろうと思ったら「ねえ!どう?カッコよかった???」と訊いてくるハルちゃん。ふふふ。照れ隠しでしょうか?

そしてソロ新曲の「目隠し」ですよ。〝強く生きている人の中にある弱さに寄り添いたい〟というハルちゃんの思いが投影されたような土岐麻子さんの歌詞がズンと響いてくる。ステイホーム期間中、ポジティブに物事を捉えようとしていたというハルちゃんが目の当たりにする世の中の理不尽。ともすればそういった世界のダークサイドに引き込まれそうになるのは、弱い人ではなくむしろ強く生きている人なのではないか、という視点。そして強い人の脆さを受け入れて、何なら目隠しをして生きていくのもひとつの道だよ、という慈しみに溢れた思い。

この曲が2020年に作られ、2021年となった今歌われているというのには、何かしらの意味があるように思えてしまう。今この時のわたし達の心に巣食う何か、を記録するメモとしても大切な一曲になりそうだ。

孤独に寄り添いたい、というのはもちろんわたし達へのメッセージでもあるし、同時にハルちゃん自身の決意表明のようにも感じた。

ラストの「ハッピー・エンディング」は何度かLIVEで体験しているが、観れば観るほど聴けば聴くほどその良さがドンドンと増してくる。そのスルメ感が良い。アフタートークで弄られていたけど、最後の腕振り上げてたところとても良かったですよ。

アフタートークで4人揃った時のワチャワチャ感も楽しさが爆発していて良かった。あんぬちゃんが繰り出す鋭いナイフのようなツッコミも、スタジオアリスのMVというパワーワードを持ち出すおとはすも、喋り足りないといって駄々をこねる奥津さんも、そしてガハハハハと笑うハルちゃんも皆、愛おしい。信頼と実績のベスト4の安定感。

いやーホント、アッという間の1時間でしたね。バンドとの化学反応も良くて、またこのバンドセットで観たい。

なかなかLIVEに行く事は出来ないけれど、モニターの向こうには確かにハルちゃんがいて、きっとハルちゃんもモニターのこちら側にいるヲタク達の事を見ながら歌っているように思うのです。まあ勝手に言ってるだけですけどね。

さてアーカイブ観るか。

目を逸さないで描くのよ。【映画】『燃ゆる女の肖像』雑感。

2020年に観た映画を個人的に振り返った時、どの作品にも(テーマや時代設定とは関係なく)現代的なメッセージがあるな、と思ったわけですが。

『燃ゆる女の肖像』

【公式】映画『燃ゆる女の肖像』本予告 12/4公開 - YouTube

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この18世紀のフランスを舞台にしたこの作品も同様に、非常に現代的なテーマやメッセージが感じられた。

といいつつ、そのひとつひとつをロジカルに説明する能力はわたしには無いのだけれど、そんな事とは関係なく観る者の心(或いは魂と言っても良いけれど)を刺激する何かがある。そしてラスト15分くらいは上質のミステリを観ているようなカタルシスもあった。

物語の大半がマリアンヌとエロイーズ(とソフィー)の描写に費やされているのはもちろん、ほとんど男性の姿が出てこない。

出てくるとしても彼らは限定された役割をこなしているだけだ。序盤にマリアンヌが船に乗っている場面でそこにいる男性たちに個性はない。彼らは〝ただ運ぶだけ〟の役割しか与えられておらず、だからこそマリアンヌのキャンバスが海に落ちた時もぼーっと傍観しているだけだ。そういえば終盤に出てきた男も〝絵を運ぶためだけ〟に登場している。

そこにどれだけの意図があるのかについては明確ではないけれど、少なくともこの作品の中で男性は感情や理性のある存在としては描かれておらず、と同時に彼女達が抑圧され何かを強制/矯正される存在であることがこちらに伝わってくる。

マリアンヌは(恐らくは)その才能を低く見積もられていて高名な父親の元で抑圧されている。エロイーズの結婚話はそもそも姉の不在がもたらした結果であって、その事態をなんとか引き伸ばそうとするものの最終的には抗えないことも自覚している。女中であるソフィーも同様だ。彼女もまた抑圧に苛まれている。

そういった抑圧は18世紀のフランスにおいてはもちろん解消されることもなく、だからこそ彼女達が楽しむ刹那の女子会がもの悲しい。

パチパチと薪が爆ぜる音が印象的なほどに静かな展開は夜の集会のシーンでドライブしていく。唐突に流れる(歌われる)アンビエントミュージックのような曲が奏でられるとともにマリアンヌとエロイーズとの関係にも変化が訪れる。僅かな表情によってその変化を表現しているところも良かった。

ドライブのかかった物語は終盤に向けて畳み掛けるようにわたしの感情を揺さぶってきた。それがどういう感情で何故そのように感じるのかをロジカルに説明することは出来ない。

ただエロイーズの空虚な瞳とその佇まいに引き込まれたことは間違いない。マリアンヌとの蜜月のひとときにみせるラフな髪型は今の我々から見ればとても現代的だが、それがあの世界では(おそらく)モラルを欠いた姿であってそういったパラダイムが産み出すズレもどこまで意図的かはともかく不思議な効果があった。

ソフィーをモデルにしてある場面を再現し、それをマリアンヌに描かせようとするくだりには言いようのない凄みがある。自分たちが強いられている抑圧を告発するようにも芸術へ身を捧げるエグみのようなものも感じる。

そしてあのラストだ。あの表情とあの音楽の為に2時間があったと言って良い。エロイーズを捉えたショットは間違いなく最高だった。

こういう出会いがあるから絵画も映画も音楽も文学も漫画もお笑いも演芸もアイドルも…あらゆる文化に価値があるのだろう。なんてね。

それでも10本映画をあげてみる。そこに垣間見える2020年の姿。

いつもそれほど本数を観ている訳でもないけれど、今年は流石に劇場に行く機会がグッと減った。

それでもまあこの2020年に自分がどんな映画に触れ、どう感じていたかの記録の意味でも10本あげてみる。

  • マリッジ・ストーリー

  • ロング・ショット

  • ナイブズ・アウト

  • 37セカンズ

  • ミッドサマー

  • デッド・ドンド・ダイ

  • 透明人間

  • ハーフ・オブ・イット

  • ブックスマート

  • テネット

(鑑賞順)

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このうち、『マリッジ・ストーリー』や『ロング・ショット』『ハーフ・オブ・イット』はNetflixアマゾンプライムなどの配信で鑑賞している。振り返れば3/下旬に『ハーレイ・クイン』を観に行った後は劇場から遠ざかっていて6月下旬の『デッド・ドンド・ダイ』まで3ヶ月空いている。

流石にそんな経験は今までなかったと思う。

ではその空白期間に配信で映画観まくっていたかというとそうでもなくて、『愛の不時着』や『梨泰院クラス』、『トッケビ』といった韓国ドラマに時間を割いていた気がする。

さて。

10本を振り返ると、期せずして現代的な事柄にリンクしている作品が多いように思える。

クレイマー、クレイマー』のアップデート版ともいえる『マリッジ・ストーリー』や男女間のラブストーリーの典型を塗り替えるような『ロング・ショット』や『ハーフ・オブ・イット』、『ブックスマート』という作品たち。或いは、良質な探偵モノであると同時にトランプ以降のアメリカの現代を揶揄するようなエッセンスのある『ナイブズ・アウト』や〝多様性〟という言葉のある種の欺瞞や生々しさを突きつけてくるような『37セカンズ』という作品が持つ同時代性がわたしの心を掴んだのかもしれない。

なかでも『ミッドサマー』や『透明人間』は、ホラーというフォーマットを活かしつつ、主人公が自分を強制/矯正してくる社会へリベンジし強烈なカウンターパンチを喰らわしていく様に爽快感があってそれぞれラストに浮かべる表情が印象的だった。

まさに今この時だからこそ産まれた作品であるように思えて仕方がない。

そういう意味で言えば、『デッド・ドンド・ダイ』では世界の緩やかな終焉があって、そこで達観したり悲観的になったり過激な行動に出たり…という人々の姿はまさに今のわたし達であって、意図せずところで世の中とリンクしていくあたりにジャームッシュの非凡さを感じたりもした。

そして『テネット』では〝予め定められた成り行き〟の中で世界の終焉から逃れられるのかと足掻く主人公に、わたしは説明出来ない救済の光を感じているのです。

それから10本の中には上げなかったけど、こんな状況の中でとてつもない大ヒットとなっている『鬼滅の刃』は、もうその存在だけでありがたいわけで、猗窩座登場シーンのゾクゾク感を含め忘れられない作品のひとつだったし、『眉村ちあきのすべて(仮)』で終盤夕暮れの街を駆け出す眉村さんの横顔を捉えたショットの素晴らしさも記しておきたい事のひとつだ。

ともあれ来年はもう少し映画を観られる一年になるといいですね。

きっとマントを背負ってやって来る。私立恵比寿中学『バンドのみんなと大学芸会2020 エビ中とニューガムラッド12/27(日)@東京ガーデンシアター』雑感。

 

この日もあらゆる界隈で色んなLIVEが催されているようだったがわたしはここに来た。

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『バンドのみんなと大学芸会2020 エビ中とニューガムラッド』

 

わたしが初めてエビ中ちゃん達をこの目で観たのは帰省していた広島でリリイベをやっていたのを偶然見かけた時だと思う。YMO『体操』のカバーをやっていたり、グダグダのダンスや踊りに苦笑しながらも心の何かに引っかかって気になった記憶がある。

その時は確か10人くらいはいたはずだが、今日は5人だ。しかしあのリリイベの時とは比較できないほどに素晴らしいパフォーマンスを魅せてくれた。エビ中のライブ自体が丁度一年前のバンドセットで、あの時ももちろん最高だったけれど、今夜は更に完成度の高いステージだった。

いやホント良かったなぁ。

 

赤いカーテンが上がるとギターサウンドでebitureが奏でられる。そして開幕からの「Family Complex」で響きわたるひなたちゃん、いや柏木さんの声が一瞬でオーディエンス達の気持ちをグッと掴む。この時点でライブ成功が約束されましたね。

このご時世のライブ、もちろんわたし達はマスクをつけたままだし声を出すことも出来ない。それでもサイリウムを振りながらブヒブヒ言ってました。

「ハイタテキ」「SHAKE!SHAKE!」といった曲ももちろん楽しいし、アガる。それにしてもハタチになったぽーちゃんの頼もしさにも似た存在感は何ですかね。「EBINOMICS」ではコーラスのオリビアさんが登場してきたけど、それにも負けていない、ぽーちゃんの圧。

全員が成人となったエビ中ちゃん。「I'll be here」「愛のレンタル」では大人のライブのしっとり感があって何とも感慨深い。

「曇天」ではソングライターである吉澤嘉代子さんが登場してきて、少なからずわたしを驚かせたが、いや実に素晴らしい空間だった。エビ中ちゃんの衣装に合わせた白いワンピースがとても似合っていて、セットの最上段にある姿のせいか女神のような輝きがあった。

続く「ねぇ中学生」「面皰」では一転してキュートさが溢れ出していてエビ中ちゃんと一緒になって踊っている姿、ちょっとどうしようかってくらいの可愛さでしたよ。

「PLAYBACK 」の時の不思議な浮遊感というかPerfumeの「SEVENTH HEAVEN 」にも似た高揚感がとても印象で、うまく言えないけどエビ中、とても良いグループになったなぁ、と謎の上目線で改めて思う。

たむらぱん作のエビ中曲では自動的に泣く身体になっているわたしだが、成長した彼女達が歌う「大人はわかってくれない」もまた趣きがあって素晴らしい。そして大好きな「ポップコーントーン」。今この一瞬一瞬を生きるわたし達、〝声にならない声で誓う〟のは夢か現実か。この辺りで涙腺がかなり緩んできている。

バンドメンバーを紹介しながらの「オメカシ・フィーバー」はいよいよライブが終盤に近づいている事を予見させる。しかし、この曲で踊るメンバーを観ているだけでアドレナリンがドバドバ分泌される。真山さん、美怜ちゃん、ひなたちゃん、ぽーちゃん、りったん。みんなが楽しそうに踊ってるのを観ているだけで多幸感に包まれる。

「ジャンプ」はいつ聴いても身体に沁みてくる。特に安本さんの生誕でのコレ安本彩花「ジャンプ‐アカペラver.‐」 - YouTubeを経験した後では余計に感情が掻き乱される。そしてりったんの〝今だーーー!〟で目尻が濡れていくのが判った。

柏木さんが「なかなか良いことばかり続かないこの世の中だけど、わたし達エビ中はいつでもあなたのそばにいます」(大意)とスピーチした後の「スーパーヒーロー」はマジやばかった。色んな感情が織り重なりあらゆる記憶と思い出が混ざり合うようにして心のヒダを刺激する。2020年の暮れという今、このメッセージはストレートに響くし、と同時にある種の宿命を背負うような覚悟もあってその事に少し驚いていたりもする。

いや、良いライブだった。来てよかった。録画してある生中継を観るのも年末年始の楽しみのひとつになった。

おそらく今この状況の中では最高とも言える環境でのライブだったと思うし、しばらくはこのスタイルでやっていくしかないのだろう。しかしそこに絶望はなく、うっすらとでも光るその行く先を目指してわたし達は歩いていくしかない。彼女達はその背中を押していこう、と言ってくれている。それ以上の何を求めるというのか。

 

東京ガーデンシアター、アリーナの前方だったからそりゃまあそうだろって話だけど、スタンドだったとしてもステージが近くて見易そうな作りで良い会場だな、という印象。またここでライブ観たいですね。

そしてその時は6つの声で。

道路でサッカーをしてはいけません。【映画】『ワンダーウーマン1984』雑感。

次々とハリウッド大作が公開延期になるご時世、兎にも角にも劇場公開してくれた事が嬉しい。かつてのささやかな日常の場面がいかに有難い事であったかを実感するのです。

という事で

ワンダーウーマン1984

予告編→映画『ワンダーウーマン 1984』日本版予告 2020年12月18日(金) 全国ロードショー - YouTube

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という事で贅沢は言わないけれど、正直前作と比べるとちょっとカタルシスはない、かな。

「為の演出」というか良くないパターンのご都合演出がちょっと気になるといいますか…。「細けぇこたぁ良いんだよ!」が通じる作品もあるしそういうのも大好きなんですが、今作はその点が目についた。その辺りの線引きって自分でもよく判らなくて、例えば『バトルシップ』なんかだとそういう瑕疵は全く気にならないんだけど、今作は…。

ていうか今回ダイアナ、あんまカッコよくないんですよ、全体的に。その辺がちょっとモヤってる原因かもしれない。

いやもちろんグッと来る場面もある。飛雄するダイアナに心掴まれる一瞬とか切ない表情とかね。前作ではひとつの目標に向かって仲間たちをグイグイと引っ張っていく頼もしさがあったし、怒涛の強さ・カッコ良さがあったのに今回ではそれが余り感じられない。

もちろんそれはストーリー上の必然ではあるし、こういう続編にありがちな主人公が葛藤やハードルを乗り越えての覚醒のパターンなのは判るんだけどもう少しスカッと抜けた勢いが欲しかった。

寧ろバーバラやマックス・ロードの方にキャラクターに深みがあるしむしろ共感すらしてしまう。冴えない自分の人生を何とか輝くモノにしたいと足掻き、その欲望に抗えずダークサイドに堕ちていく様はわたし達の姿でもある。

この作品で痛快さを感じるのが、バーバラが酔ったゲス男性をぶちのめす場面(この時のスコアが流石ハンス・ジマー!!って感じで好き)で、今までの人生をひっくり返していくことへの快感に支配されていく姿には不思議な共感を抱いてしまう。

いっそバーバラのストーリーに重点置いた方が面白かったんじゃないですかね。わたしはDCコミックに詳しくないのでチーターというキャラクターの存在は知らなかったけど、こういうルサンチマン的に増幅していくキャラクターは嫌いじゃない。

マックス・ロードの方も、不遇の子供時代からそれこそ泥水を啜るようにしてのし上がって行こうとする描写(会社立ち上げのところ!泣きそうになりました!)とかグッとくるところがあるし、欲望のインフレに囚われていく不気味さのようなものもあって良かった。ちょっとトランプ批判に引っ張られてる気がしないでもないけど。

それぞれクリステン・ウィグペドロ・パスカルがとても良かった。ペドロ・パスカルについては『マンダロリアン』のシーズン2最終話を観たばかりでその感動に包まれた状態だったこともあり、「マンドーさん…どしたん?」という複雑な心境で観ていたりもして。

とまあ色々と思うところはありましたけれど、最初に言ったように今この時期に劇場公開された事がありがたく、それだけでも感謝したいという心境なのは本当。ファッションだけでなく画面のルックや肌触りも80年代的空気を感じさせる仕事ぶりも悪くない。チラリと映る渋谷は90年代っぽく見えたけど、まあそれは小さな話で何よりわたしが感じたのは「ブルー・マンデー」流れねぇじゃねーか!!!という事だったりするのです。

心の中で「ラーメン!」と叫ぶ、わたし達は。12/14(月)眉村ちあき日本武道館LIVE「日本元気女歌手〜夢だけど夢じゃなかった〜」雑感。

過去、色んな人の武道館LIVEに参戦した事は何度かある。しかし今回はやはり過去のLIVE体験と比較しても身構え方が違ってくる。

もちろん、ついにこの舞台に!という感慨もあるが、どこかでまだ実感がない感覚もある。一年振りの眉村さんの現場ということで、気がつけば胸の奥がツンツンして変な緊張をしている自分を発見したりもする。

発売されたばかりのメジャー3rdアルバム『日本元気女歌手』も素晴らしく、眉村さんの中にある優しさや慈しみと同時に力強さのような逞しさがあって、あたかも狂い咲きハッピーロードとでも呼びたくなるものだったけれど、この武道館という舞台でそれがどのように昇華されていくのか、というワクワク気分で当日を迎えたのです。

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看板を目の当たりにすると、文字通り「夢だけど夢じゃなかった」感が増しますね。

なお、事前のアナウンスで撮影は禁止とのお達しがあった。正直わたしにとってはこれは朗報に近かった。いや勿論わたしにも一眼でこの貴重な空間を写真に収めたいという欲求はあった。と同時にファインダー越しに眉村さんを覗いて満足してて良いのか?と自問自答しており、スパッとカメラの事は諦める事ができたのは良かった。

当日のわたしのSNSのTLは♯日本元気女歌手が日本武道館というハッシュタグで溢れていた。遠征されている様子や物販列に並び看板を写真に撮るマユムラー各位が来るべきLIVEを前に興奮する様子が伝わってくる。わたしもそのひとりで武道館の看板を実際にみると心の奥がキュッとなった。しかし、まだ泣くには早い。

開場時間は少し押していた。これがもうメジャー感ですよ。入場してから場内には撮影禁止のプラカードや沢山の係員さんがウロウロと巡回していて、「間違いなく今、武道館に来ているな」というのを実感する。などと思っていたらあっという間に開演時間がやってきた。

細かいところは配信のアーカイブで確認したいところだが、今は観終わったばかりの記憶を頼りに綴っていきます。あやふやながらもセトリや演出にも触れていきます。

 

武道館の天井、こんなに高かったっけ?というのが「冒険隊〜森の勇者〜」が始まった時に思った事だった。緑のライトで表現された森という演出はクールかつ美しかった。この時点でライブのスケールの大きさが伝わってくる。言うまでもない事だけど、眉村さん武道館に負けていない。

一方では、序盤からトロッコ演出か?と思ったらお母さん登場でこういうところは実に、らしくて好きです。

あ、そうそう。眉村さんの衣装良かったですね。ジャンプスーツというのかペスターというのか不思議なカッコよさのあるスタイルで、彼女のダンスの動きを上手く増幅するような効果もあった気がする。

吊らされながら剣を振る姿も様になっていてちょっと炭治郎っぽく見えたり。

コールの出来ない「ナックルセンス」というのも中々にツライものがあるが、それを序盤に持ってきた事で今回のライブの楽しみ方への心構えが出来た気がする。立って踊る事も(実は出来た訳だが)コールする事も声援を送る事も出来ないが、今できる精一杯の手段でわたし達はこのライブを楽しむしかない。そして事実それが楽しくなるのが眉村さんのマジックでもある。

前半のハイライトのひとつは「夕顔バラード」だろうか。新しいアルバムの中でも出色のこの曲はこのライブでもかなり心揺さぶられた。「リアル不協和音」からの流れ(でしたよね?自信ない)もさることながら、8ミリフィルムを回しているかのようなチリチリとしたノイズとモノクロの画面、そしてそれがやがて色づく映像と伸びやかな歌声が最高だ。この日はあらゆる曲のあらゆる場面で眉村さんの高らかに鳴り響くボーカルが際立っていた。

場内換気を経てからの後半戦。青いワンピースに足元は例の赤いアレ。うん。かわいい。

出島へやったきた彼女はアコギで「顔面ファラウェイ」を弾き始める。このアレンジも中々良いね、と思っていたらあれ?「メソ・ポタ・ミア」??とそこからどんどん曲が入れ替わっていくメドレーへ。いや、あれはメドレーというレベルではなかった。次から次へと曲がシームレスに繋がっていく様にはギターをかき鳴らすその姿も相まって鬼気迫るものすら感じた。わたしの頭の中にはニール・ヤングという単語が浮かんでいる。

実際あれはどうなっていたのか。予め曲の順番をしっかり決めていたのか、それとも自動書記的に感覚でギターをかき鳴らし歌っていたのか。いずれにしても圧巻でしたね。

「本気のラブソング」で「最近、ハゲ触ってないなぁ…」と嘆きながら会場ひとりひとりの顔を見つめていく姿も何故かステージのバミリテープを剥がそうとしながら歌った「音楽と結婚ちよ」も良かったけれど、やはり感情を抑制しながら歌い上げた「Dear My Family」にはやられました。

気がついたらわたしは泣いていた。かもしれない。

「ビバ・青春・カメ・トマト」でトロッコに乗った眉村さんがわたしの前を通り過ぎて行った時のその眩しさも忘れ難いし、紅白のトリ感満載の「36.8℃」の雪の特効(一気に降り始めたかと思うと曲の終わりに向けてスゥーっと消えていくタイミングが素晴らしかった)や脚をブラブラさせながらの「やさいせいかつ」も最高だったけれど、この日わたしの心を震わせたのは本編最後だった。

最後の曲、「大丈夫」と告げられた時、これは文字通り鳥肌が立ったし自分でも想像してなかったほどに身体中のエモーションが沸き立つようだった。

この曲にまとわりついていた色々、そんなカサブタを剥がすようにして解き放ち、衒いなくストレートにわたし達へのエールとしてパフォーマンスする姿は堂々としていたし素晴らしかった。

ミュージカルパート(「夢だけど夢じゃなかった」最高!!!!!でしたね!!!!)やMCで言うように、彼女を取り巻く環境は刻一刻と変化していて、今回のライブのエンドクレジットを見ても判るように多くの人が関わり携わってこのステージがある。そういった社会の諸々を受け入れながらステージに立つ覚悟、みたいものがこの日の「大丈夫」にはあったように思う。

アンコールの演出も楽しく、ポップアップをおかわりして始まった「奇跡・神の子・天才犬」、そしてこの日は当然そうなるだろう〝朝起きても眉村ちあきのままでいる〟バージョンの「ピッコロ虫」も当然最高オブ最高でした。

この夜、ステージで飛び跳ねる眉村さんの姿を観ていると、そういう表現の場に立つ人のオーラというか、その権利を持つ者の凄みのようなモノすら感じた。武道館どころか東京ドーム、さいたまスーパーアリーナまで行ってしまって欲しい。そこでもきっと会場全体を巻き込んだコミュニケーションを取るだろうし、アリーナどころかスタンドにいる全員の目を間違いなく見つめてくる筈だ。と思いながら九段下の坂を下るのでした。

 

おまけ

「ピッコロ虫」で唐突に出てきたヒューマンサイン。わたし達はいつの間にかヒューマン教に入信していたようだけどどこかで見覚えのあると思ったらこれだった。

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2年前のあるイベントでこのサインは出されていた。ちなみにこの時は「心を落ち着かせ集中させる技法」だとおっしゃってたようです。

フィロ(F)の(N)ス(S)歌謡祭。僕らのリモート。11/19(木)フィロソフィーのダンス『World Extension 』雑感。

例えばPerfumeのドーム公演を観ている時、わたしは確かに五万分の一人なのだけど、でもふと三人対わたし、という風にその存在感を感じる時がある。最新のテクノロジーが代名詞のように語られる三人娘だが、実はその底にあるのはあくまでも生身の肉体であって、モニター越しだろうが、遠いスタンド席から観ていようが大事なのは生々しい身体が放つ輝きだ。それなしでは成立するはずもない。

それは眉村さんや新しい学校のリーダーズの配信Liveにも言えることで、例えば眉村さんが画面越しに本当にこちらを覗いてるとかリーダーズとてつもない関節の動きひとつひとつが伝わってくるとか、つまりはそういう事だ。

そしてもちろんフィロソフィーのダンスもまた!

という事で

フィロソフィーのダンス『World Extension 』

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何もないステージに映像を映し出し、いわゆるAR空間で作られたセット。しかしそのテクノロジーの使い方はさりげない。

リリックビデオ風に歌詞がステージの後方や前方に立体的に浮かび上がったり、あるいはチラチラと雪(のようなもの)が降ってきたりといった演出はパフォーマンスの邪魔をしていない。贅沢をいうならカメラの焦点はもっとベタッとパンフォーカス気味の方が良かった気もするし、「あ。ここ全体の踊りが見たいな」と思うようなカットもないわけではなかったけれど、それは小さな話。

例えば前半の「ダンス・ファウンダー」でのラインダンスでは何故か目頭が熱くなるし、初披露の「オプティミスティック・ラブ」のスケール感はド派手な演出の大きなステージで観たい欲求を掻き立てる。(それが実現した時こそ仁王立ちあんぬちゃんがパーカッションを叩く演出をですね…)

緩いインターバルコーナー(こういうところがフィロのスのフィロのスたる所以だ)もまた愛おしい。ベスト4がそれぞれのキャラクターを活かしてわたし達をたのしませる。

そして始まるアコースティックコーナー。これはもう白眉でしたね。

ついさっきまで「お尻プリプリ」とか「やる気卍♪」とかいってはしゃいでいたハルちゃんが、しっとりと歌うソロ曲「いつか大人になって」でわたしはノックアウトされた。自らの名前がその歌詞に織ら込まれたこの曲、この夜のハルちゃんのパフォーマンスはまた格別だった。ゴージャスなセットとドレスアップしたハルちゃん、そして豪華なバックバンド!まさに僕らの音楽かFNS歌謡祭か、というばかり。

春を待ちながら全てをリセットする日が来るのを待ち侘びる、そんな今わたし達がいるのは、まだ寒い冬。そんな内容もまた今の世の中と不思議なシンクロをしているようで…。

続く「シスター」がまた、ね。おとはすは深いスリットの入った黒、ハルちゃんは白、奥津さんはやや紺色?ネイビー?でちょっとキラキラした素材のドレス、そしてあんぬちゃんは白いパンツスタイルが印象的。この曲の4人はどのパートも素晴らしかったけど、個人的にはあんぬちゃんの絞り出すような声に軍配をあげたい。髪型とメイクも良くて、あまりの美しさにスクショを撮ることも出来なかった。アーカイブ観なきゃ。

「シャル・ウィ・スタート」で一旦ベスト4は画面から消え、「アイム・アフター・タイム」のインストが流れてくるが、これがまた至極でしたねぇ。鍵盤とベースとパーカッションが絶妙に絡み合い、とてつもないグルーヴを生み出す。このバンドセットで1時間のライブをやって貰いたい。

再びお馴染みの衣装でステージに戻ってくると「ドント・ストップ・ザ・ダンス」と「ライブ・ライフ」でこの日のライブは締められた。

いや良いライブだった。もちろん、生で観る事の方が良いには決まっている。決まっているが、最後ハルちゃんやおとはすが言ったようにリモートである事、リモートで出来る事を追求しながらそこで高みを目指すという覚悟は、今のこの世界でサバイヴしていく上で必要な事で、その事を改めて実感する。

そして奥津さんの無尽蔵に振りまかれる愛を受け止める為には、あんぬちゃんの言うことを聞いて健康を維持して行かなければならない。いや、本当にそれが大事なんだと思う。

f:id:mousoudance:20201119232444j:image守りたいこの笑顔、ですよ。

そしてこんな素晴らしいライブのおまけについてきたアフタートークコーナーは、ワチャワチャを緩く(いい意味で)ダラダラと続く時間で、こういうところが推せる理由のひとつであったりする。

そしてわたし達は気づくのだ。拡張されたのは世界ではなくて、おとはすのキャラクターではなかったのか、と。