妄想徒然ダイアリー

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大いなる物語には、救済と赦しが伴う。【映画】『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』雑感。

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』予告3 1月7日(金)全国の映画館で公開! #全ての運命が集結する ── - YouTube

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いきなり結論から言わせてもらえば最高でした!

そうであったかもしれない人生への眼差し、赦しと救済に満ちた物語がズンズンと響いてくる。誰もが帰る家を失い、彷徨っている。IMAXレーザーで鑑賞していた筈なのに何故か途中から画面がボヤけてしまうくらいに、心が揺れた。

実は迂闊にも事前にあるネタバレに触れてしまっていたけれど、それでもあの場面には思わず声が出そうになったし、場内のどよめきと共に感情が昂ってくる。

個人的には主人公が謂れのない誤解によって立場を失い苦しい状況に追いやられる、という物語のパターンが苦手で、そういう話の流れになると観ていて辛くなる。だからミステリオの策略によるピーター・パーカーの窮地が長く続くと嫌だなぁ、と思っていたけれどそれは杞憂だった。シリアスとコメディの幅を絶妙なバランスで進んでいくので、スムーズにストーリーに入り込めたし、MJやネッドの存在が最高の味付けとなっていて安心できる。

トム・ホランドスパイダーマンの魅力は、学園ドラマ・青春ドラマとしても優れているところにもあり、MJやネッド(とフラッシュも)といった「また、コイツらに会いたい」と思わせる仲間達との関係性も健在で、それをみているだけで楽しい。メイおばさんやハッピーといった大人たちの眼差しも慈しみに溢れているし、メンター的立ち位置のDr.ストレンジとのやり取りを見ているだけで、心がグッときてしまう。

予告編を観ればドクター・オクトパスやエレクトロ、グリーン・ゴブリンが出てきており、その時点でサム・ライミ版やマーク・ウェブ版とのクロスオーバーが起きている事、更にはそういったヴィランとの戦いが一筋縄ではいかない事は容易に予見されていたけれど、まさかここまで赦しと救済と魂の解放の物語になっているとは想像以上だった。窮地に落ち、帰る家を失ったのはピーター・パーカーばかりではない。ダークサイドに堕ち、ヴィラン化してしまった者たちもまた、道標を見失っている。では、彼らは救われるべきなのか。やり直すチャンスはあるのか。ピーター達の出した答えをわたしは尊重したい。

そしてスパイダーマン・シリーズに欠かせないwith great power comes great responsibility の台詞。この台詞がどこで誰によって発せられるのか(とそれを巡る会話)、それだけでもうわたしは涙腺崩壊だった。そしてあの場面!まさにその大いなる力が引き起こしてしまった悪夢は消えない。起きてしまった過去は変えることはできない。しかし、そんなやり直せない過去を別な形で精算する事で救える魂があるのかもしれない。そんな思いが詰まったシーンには思わず拍手しそうになった。

〝大いなる力〟を持たない普通の人生を慎ましく過ごすこと。それは大半のわたしたちの人生だ。そしてピーター・パーカーが普通の学生であったかもしれない世界線を思いつつ、わたしは自分の手首を眺める。そこにはApple Watchが付いているだけでスパイダーウェブは出せない。

大人になれたかな。【映画】『キングスマン:ファースト・エージェント』雑感

陰謀論は馬鹿馬鹿しいと一笑する事もできるし、一方で「世界が何者かに仕組まれている」、と信じる事で理不尽で悲惨な歴史的事実に合理性を求める傾向もある。

キングスマン:ファースト・エージェント』

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映画『キングスマン:ファースト・エージェント』レギュラー予告編 12月24日(金)公開 - YouTube

マシュー・ボーンのバイオレンス描写はそのゴア要素も含めてポップに処理されていて、それをわたし達はエンタメとして享受してきた。所謂「ボンクラ達の受け皿」的な位置付けを肯定的に受け入れてきた歴史がある。もちろんそういったスタンスを今でも楽しむ傾向はわたしにもあるし、今までもキングスマンシリーズもそういったフォーマットに沿って作られてきたと思う。

今作でも、ケレン味のあるアクションシーンやバイオレンス(ゴア)描写はある。ラスプーチンとのバトルなど、バレエとクラシック音楽を上手く使っていて見応えがある。しかし、そこには痛みや哀しみが強調されているように感じた。

オックスフォード公が語る過去への後悔はある人達にとっては〝自虐史観〟的に捉われてるように感じるかもしれないが、わたしはむしろ誠実さや矜持がそこにあるように思っている。その矜持はわたし達にとっても理解できるものではあるけれど、と同時にコンラッドの愛国精神もまた否定出来ない。

コンラッドの英雄的行動が招く事態をめぐる描写は少なからずショックをわたし達に与える。所謂ゴア描写的なものではないけれど、戦争における残酷な命の行く末がわたし達の目の前にゴロリと提示される。そういった冷徹さは今までのマシュー・ボーンとは違ってきている印象だ。それを成熟というのかどうかはわからないけれど、マシュー・ボーンの新たなステージをみた気がしている。

その分、前2作にあった突き抜けた馬鹿馬鹿しさは少なくなっていてアクションシーンも見どころはラスプーチン戦くらいだったりするのもまた、事実。全体的に物足りなく感じてしまったのもそこにあるかもしれない。それが正しい事なのかはよくわからない。わたしもまだ大人にはなれていないのかもしれない。

メロイック・サインに頷く。【映画】『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』雑感。

わたしもいい歳なので「生きつらさ」のようなものは微塵も感じていないような顔をして毎日生活をしている。日々の仕事を消化し、上司の軽口を苦笑しながらやり過ごし、暮らしている。まあ、それが人生ってやつよ、と嘯くつもりもないけれど。

『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』

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宮世琉弥が映画予告ナレーション初挑戦。青春音楽映画『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』【2021年12月3日(金)公開】 - YouTube

ザ・スミス関連では『イングランド・イズ・マイン』という作品があって、「まだこの世にスミスが存在しない世界」でもがく青春が上手く描かれていたと思っていたけれど、とくに話題にもならずオフィシャル(というかモリッリー)的にも無関係とされているようだった。結構、いい作品だと思うんですけどね。僕はまだ病んだまま。【映画】『イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語』雑感。 - 妄想徒然ダイアリー

今作では冒頭からスミス解散で幕開けする。つまりは「この世からスミスが消えてしまった世界」だ。主人公(が誰かはさておき)達は、それを嘆く。それぞれが世界に居場所を見つけられなくて悩んでいる、つまりは青春が描かれている訳だけれども、その辺りの描写はそれほど掘り下げられていない。

奇しくもクレオの「『プリティ・イン・ピンク』のモリー・リングウォルトにはリアリティがない」という台詞がそのまま彼女達にも当てはまるような感想を抱いてしまった。結構、パーティなんか言っててリア充感ありますよ。でもグッとくる場面もいくつかあってパトリックが〝ほんとうの自分〟を発見していく心の動きなどは良かったし、それを感じ取っていくシーラの複雑な心情などは良かったと思う。グレイス・ジョーンズみたいなクラブの門番やロバスミやスージー・スーみたいなパーティピープル

それよりもラジオジャックの場面の方をもっとメインにしても良かったのかな、という気もしないでもない。ディーンの佇まいはとても良かったし、彼がザ・スミスに救いを求める切実さがある。そしてメタルDJとのプチ・ストックホルム症候群的な関係性も(典型ではあるけれど)わかりやすく伝わってくるし、それぞれが最終的に違いを認めていく過程も良かった。ある場面で掲げられるメロイック・サインの美しさよ。

章立てのタイトルや台詞の端々に曲名や歌詞を使っていたり、「ストップ・ミー」のMVの自転車軍団の引用などにはスミス愛を感じるが、要所要所で差し込まれるモリッリーとジョニー・マーのインタビューなどをみるとむしろザ・スミスのドキュメンタリーを観ている感覚の方が強い。ドラマパートの方がオマケになっているというのは言い過ぎだけれど、結局1番グッと来たのは大音量で鳴る「ハウ・スーン・イズ・ナウ」の場面だったりする。

いつかのモリッリーのライブではミート・イズ・マーダーが食肉の残酷さを表現したビデオと共に演られていて、そのライブには親が連れて来たのだろうか小学生の子供もいたのだけれど、その子が帰りに「ねえ、今日焼き肉たべようよー」と言っていたのを聴きながら、〝少年よ、それも正しい道なのだよ〟と思った事がある。そしてわたしも帰りに焼き鳥を食べたのです。

冷たい池で泳ぎ続ける錦鯉。2021年の10本を強引に。

今年も大して映画を観に行けなかったけど、まあ一応まとめの意味で10本を。

  • 燃ゆる女の肖像
  • 花束みたいな恋をした
  • 素晴らしき世界
  • シン・エヴァンゲリオン劇場版
  • パーム・スプリングス
  • プロミシング・ヤング・ウーマン
  • ライトハウス
  • OLD
  • アナザーラウンド
  • サマーフィルムにのって

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配信で鑑賞したものは除いた。いつになく邦画が多い結果となっている。

 

ここ最近のマーベル作品を始めとして、いわゆる”アップデートされた意識”を感じる作品が増えてきている。こういう動きをトレンドとして記号化するのは良くないとは思うけれど、でも良い傾向であることは間違いない。そんな中でも「燃ゆる女の肖像」や「プロミシング・ヤング・ウーマン」はそうった括弧付きの「意識変革」という地点からは遥かに飛躍していて、観るものの身体の何かをつかむような強さがある。わたし達のバイナリを揺るがすとでも言いましょうか。

「花束…」や「素晴らしき世界」といった邦画(というジャンル分けも無意味だけど)では、ベテランから若手まで才能溢れる演者たちの眩しさを浴びて、日本語で語られる映画のポテンシャルを実感した。そして「サマーフィルムにのって」のように伊藤万理華という新たな才能が出てくるそのブレイクスルーをリアタイできたのも良かった。「サマー…」での彼女の終盤での立ち居振る舞いは本当に素晴らしかったと思う。

並んだ10本を眺めていると、相変わらずそうであったかもしれない人生と救済と赦しの物語に惹かれているのを再認識する。なかなか立ち行かない人生で生きつらさを感じている者が、何かに救いを求めていく様は、泥臭い言い方をすれば人間そのもののことであって、どうもそういった要素に心をつかまされてしまうのは自分が歳をとってしまったからだろうか。

そういう面で言えば、つまりは全て人生讃歌ということで括られるような気もする。(エンディングがハッピーであるかは別として)「アナザーラウンド」のマッツ・ミケルセンのダンスの高揚感や「OLD」での夜の海辺のシーンを思い出すとそう言いたくもなる。

なるほどそういう意味で言えば、2021年の漫才シーンがこの言葉で締め括られたことも偶然ではないのかもしれない。ライフ・イズ・ビューティフル

いつだって、どこだって。『私立恵比寿中学 大学芸会2021〜Reboot 〜』12/28(火)@東京ガーデンシアター雑感。

ちゅうおんは観にいけなかったので、個人的には新体制になってから初めて臨むエビ中LIVE。前夜にちゅうおんCD特典のシン・EVERYTHING POINT 1/2を観てメンバーのスピーチ、特に柏木さんのアツい思いに涙腺を緩め、安本さんの手紙(りったんの下りの泣き笑い!)で一気に気分が盛り上がる。

私立恵比寿中学 大学芸会2021〜Reboot 〜』

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会場に向かう間、9人体制になった新バージョンの曲を聴いていると、新メンバー3人の声に触れるだけで感情のレイヤーがどんどん重ねられていく。うまく言えないけれど、心が暖かくなるような慈しみに包まれていく感覚になる。それは、まさにリブートされていく私立恵比寿中学というグループの歴史に尊さを見出しているという事なのかもしれない、と久々に並んだ事前物販の列でそんな事を考えたりする。そうして、期待のハードルがドンドンと上がっていく。

その結果…。

いやー楽しかった!

新メンバーの加入に関しては衒いも懸念も違和感もなく、ごくごく当たり前のように9人のエビ中がそこにいた。

〝イヤフォン・ライオット〟はまさにシン・エビ中の自己紹介的な意味で幕開けの曲にふさわしく、さりげなく新メンバー用の歌詞が加えられていた〝Family Complex〟と続く序盤の2曲だけで新体制、問題なしと断言したいくらいだった。

〝頑張ってる途中〟に至っては、もうまさにそのまま新メンバー3人の事であって、もちろんいつ聴いても良い曲なんだけれど、この夜は特に心に突き刺さってくる。みんな頑張れ、頑張れ。ていうか頑張ってますよね。

〝サドンデス〟をこうやって楽しく観られるのも久しぶりな気がする。最近はどうしても「立ち上がれ!私立恵比寿中学!」というりったんのシャウトに涙する事が多く、それはそれでもちろん素晴らしいのだけれど、そういう(わたし達が勝手に押し付ける)物語性を帯びない9人のキャラクターが各々発揮された楽しい空間がそこにあった。結局それでも涙してしまう自分がいるけれど。

ユニットコーナーでは安本・風見ペアの〝君のままで〟でいきなり心掴まれる。この曲は安本さん自身のメッセージでもあり、末っ子風見さんへのエールのようにも感じられて、ピンスポットを浴びたふたりの姿がシンプルでかつ、力強く見えた。こんなの、泣く。

ちょっと記憶がこぼれ落ちているけれど、柏木さんがレーザーを触ると音階が鳴り、やがて曲が始まる演出があって、まあぶっちゃけ目新しいものではないけれど、あれカッコよかったですね。すっくと仁王立ちした姿をモニターでは捉えていて、ボス感あってとても良かったです。

〝イート・ザ・大目玉〟〝HOT UP!!!〟はもう楽しくて楽しくて、この2曲だけで2kgくらい痩せた気がする。なんて思ってたら〝YELL〟〝スーパーヒーロー〟ですよ。さっきの〝君のままで〟と繋がる「生きつらさを感じる君に手を差し伸べる」ような慈しみに溢れるこれらの曲は、どうしようもなくわたしに響いてくる。そして、もちろん、泣く。というかここからは涙腺ゆるゆるです。

〝感情電車〟のぽーちゃんの伸びやかな歌声に泣き、〝ジャンプ〟に続く〝なないろ〟ではもう…。安本さんのアカペラは何ですか、アレは。

余り彼女たちに〝ストーリー〟を押し付けるのは良くないと思っていて、様々な出来事はもちろん耐え難く辛い困難として立ちはだかるけれど、そこに重点を置くべきではないはずで。だけど、やはりこの曲はね。

わたしも色んなエビ中を観てきた。無料イベントでぎこちなく踊っていたエビ中も、10人の時も9人の時も8人の時も、全てエビ中だった。そして6人体制から9人体制になったエビ中も、だ。その礎を築き、長い間屋台骨として支えてきた真山さん、安本さん、星名さん、柏木さん(とこれまでのメンバー全て)。そして新たな血としてエビ中に変革をもたらしたポーちゃんとりったん。そんな視点からこの日のステージを観ると、なるほど新メンバーがスーッとグループに溶け込んでいく様に納得がいく。そういう箱であり居場所なんだ、きっと私立恵比寿中学というのは。

〝Anytime,Anywhere 〟で2021年の学芸会は締め括られた。いつでも、どこにいてもエビ中エビ中だ。そういう意味で彼女達は(少しだけ)強くなっている。最後のグダグダのMCを眺めながら、わたしはそれを確信したのでした。

鏡かネオンか飲み物。【映画】『ラストナイト・イン・ソーホー』雑感。

『ラストナイト・イン・ソーホー』

アニャ・テイラー=ジョイら出演!エドガー・ライト監督のサイコホラー『ラストナイト・イン・ソーホー』予告編 - YouTube

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こういうのをトレンドと言ってはいけないとは思うけれど、最近の映画を観ているとアップデートされた意識を感じる事が多い。その対象は様々だけど、抑圧されている/きた〝わたしたち〟を巡る語り口が増えてきているような気がするのです。

エドガー・ライトの新作という事でそれなりにハードルを上げて臨んだ今作。そういう意味で言えば多少の物足りなさがなかったかと言えば嘘になる。

しかし、それでも〝生き辛さを感じる者(つまりは、それはわたし達の事でもあるけれど)〟がどうやって自分と向き合い、かつ赦しと救済を獲得していくか、という観点からこの作品に対峙した時に、少なからず心の琴線に触れてくるサムシングもまた否定する事は出来ない。

ストーリー上のカラクリはそれほど複雑ではなくて、予想通りと言えば予想通りではありつつ、その狂気じみたハッピーエンディングには半ば呆気にとられるところもある。と、同時に赦しと救済の場面には(例えそれが唐突であろうとも)わたしの中の何かを刺激する。

夢追い求めて片田舎から都会へやってくる若者のどうしようもない自意識とそれがもたらす周囲との齟齬の姿が、少なからず数十年前の自分と重なるようなところもあって、それは辛くもあるのだけれど、同時に過去の自分にそっと寄り添いたくなるような不思議な感情を呼び起こしているのかもしれない。

エリーの過剰なオブセッションは、ややリアリティを欠く描写(になるのは当然だとしても)となってそれが観客を引き気味にさせて感情移入を困難にさせているけれど、演じるトーマシン・マッケンジーの眩しい魅力でそこはカバーされていた。それはサンディーを演じるアニャ・テイラー=ジョイにも言えることで、独特の存在感は代え難いキャラクターとして印象深いし、抑圧され囚われの身となっている哀しさもストレートに響いてくる。奇しくもふたりともシャマラン作品に出ている事もわたしには良い方向に作用したのかもしれない。

サンディーの歌う「恋のダウンタウン」は印象深いし素晴らしいが、わたしのお気に入りはこの曲が流れる場面だ。Siouxsie And The Banshees - Happy House - YouTube60年代ではなく80年代だけれど、この曲で踊りながら狂気にドライブしていくエリーの姿が個人的にはハイライトであった。

そして、帰りにわたしはキリンの瓶ビールをヴェスパーのつもりでグイッと飲み干すのでした。

僕をドゥカティに乗せてって。【映画】『マトリックス レザレクション』雑感。

マトリックス レザレクション』

映画『マトリックス レザレクションズ』本予告 2021年12月17日(金)公開 - YouTube

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正直、「今更ねぇ…」という気持ちも強く、期待のハードルは高くない状態で臨んだんですが…いや、最高じゃないですか!

もちろん気になるところが全くないパーフェクトな作品ではないし、序盤の〝マトリックスポストモダン的展開〟にやや白け気味にならないでもなかったのも事実。

それでも20年間という時間経過(がもたらすある種のノスタルジー)と永遠に続く物語(フィクションこそが重要なポイントであるという宣言)とが絡み合うことで産み出されるカタルシスには、何度か震えてしまったし、終盤に至ってはわたしは心の中で拍手喝采を送っていた。

モーフィアスとエージェント・スミスがオリジナルキャストではなかった事については残念ではあるけれど、それも上手く処理されていたと思うし、その事でネオとトリニティとの物語が補強されるという効果もあった。キアヌもキャリー=アン・モスも20年分年輪を重ねている。挿入される過去作の映像を目の当たりにすると、もちろんその眩いような若さと現在を比較をしてしまうけれど、しかしそこでわたし達が出会うのは「時の経つ事の残酷さ」ではなく、綿々と続く物語の存在の力強さだ。そういった要素は徐々にわたしの感情のヒダの部分を刺激していき、終盤クライマックスでのアツいセリフと展開には泣きそうになるくらいだった。

トーマス・アンダーソンがネオに戻っていく過程にもワクワクはする。しかし、今作はやはりトリニティの物語だ。ネオよりもトリニティのレザレクション=復活に重点が置かれているのは、ウォシャウスキー兄弟がウォシャウスキー姉妹になった事と無関係ではないだろうけれど、それに加えて年齢を重ねていく俳優の価値の見直し/アップデートを織り込んでいるという方が正しい気がする。

バレットタイムはもちろん楽しいし、過剰に放たれる薬莢やアクションも良いが、結局はドゥカティを華麗に走らせるトリニティこそが一番カッコ良かった。そのことがこの作品にとって幸福であったかは分からない。