妄想徒然ダイアリー

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プリゾナーズNo.5。【映画】『眉村ちあきのすべて(仮)』雑感。

映画の中に一瞬でも心を掴むような輝きがあれば、その作品には価値あるといって良い筈だ。

という事で観てきました。

眉村ちあきのすべて(仮)』

映画「眉村ちあきのすべて(仮)」特報 - YouTube

映画「眉村ちあきのすべて(仮)」特報2 - YouTube

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まずは『トーキョー・ロンリー・ランデブー』から。インディペンデント感溢れる画面とやや説明的なセリフに思うところもありながら、それでも工藤ちゃんさんがスーパーカップを買うシーンやライブハウスの階段を上がっていくショットなど好きな場面もあり、またおかありなさんの曲も良い。というそんな印象でした。

 

さて、しばしのインターバルの後、『眉村ちあきのすべて(仮)』が始まる。

まあ、ネタバレがどうだという作品ではないと思うし展開を知ったからという理由でこの作品を楽しむ事が出来ないという訳でもないとは思うけれど、それでも予備知識なしで鑑賞した方がより映画のダイナミズムは味わえるでしょう。と同時に全く眉村さんのことを知らないで観るのはハードルが高いのも事実。

以下ネタバレを多分含みます。

 

 

 

 

ドキュメンタリー風に始まる本作。しかし、冒頭で眉村さんが〝teeth of peace〟を作っている場面はおそらくフェイクだろう。一方で、作為のない(であろう)嶺脇社長や吉田豪さんのインタビューといったドキュメンタリー部分の存在感はリアルであり、そういったリアルが徐々にフィクションへと変容していく様はなかなか快感でもあって、虚実が混じり合う刹那はマジックアワーのような不思議な感覚があった。

フィクションの中に混じることで「リアルな」LIVE映像も次第にその姿を変えていくわけで、まるでわたし達が観てきた眉村さんが別な何かであったかもしれないという錯覚すら抱く。そういう意味ではやはりある程度は眉村さんを「体験」し触れてきていることはこの作品を観ていくうえで必要な事であるのかもしれない。

となればこの作品が多くの部分でファン向けムービーである事も避けられない事実で、どれだけの普遍性をこの作品が獲得しているのかどうかは正直に言うと自分には判断出来ない。眉村さんの事を初めてこの作品で知った、触れたという人がどのような感想を持ったのかを聞いてみたい。と思ってみたりもしたが。

でも実はそんな事はどうでも良いのだ。

例えば眉村さん主演の映画としては『夢の音』というものがある。比較的直線的に進んでいくストーリーが軸となっているこの作品は、いわゆる「普通の映画」の形を持っていたが、裏を返せば主役の女の子は眉村さんでなくても成立すると言える。しかし、その眉村さんが主役でない『夢の音』をわたしが同じように楽しめたのかどうかは怪しい。

一方、今作は眉村ちあきという存在が大前提の作品だ。ストーリーをまとめる事は出来る。もったいぶった言い方をすれば、失われたアイデンティティ復権と再生の物語、だ。さらに言うなら、それは現実社会の中で増幅していく「眉村ちあき」というイメージへの畏れや危機感の顕れであるとも言える。

でも、そんな事もどうでも良い。

眉村さんの演技の上手さは『夢の音』で既に証明済みで、今作でも様々なキャラクター(コーチと2番のキャラは個人的お気に入り)の演じ分けを見てればそのポテンシャルの高さは判る。異ジャンルの人の演技は概ね「味がある」という評価になりがちだけど、眉村さんの場合は普通に上手い。おそらく演技のベーシックな素養は習得しているんだろうと思う。いわゆる「感性でねじ伏せる」的なものというよりも、素朴ながら芯のある演技にわたしには見える。

でも、それも大事な部分ではない。

徳永えりさんと対峙する眉村さんは確かに良かったけれどもそこは大きな問題ではない。

では、どこか。どこにわたしは心奪われたのか。アカペラの〝リアル不協和音〟だろうか。これも違う。確かに素晴らしいシーンだった。でも、もっともっとわたしの心を鷲掴みにした場面がある。

それは終盤唐突に訪れる。眉村さん演じる「5番」はある場所へ向かう。彼女にとってそこは様々な困難や障害を越えてでも行かなければならない場所だ。

だからこそ彼女は走る。夕暮れの街をあの場所へ向かって走る。その時カメラが捉えた「5番」の横顔!!!!

あの横顔こそがこの映画そのものであり全てだ。

「5番」がここでみせる表情を上手く説明する言葉をわたしは知らない。悦びでも哀しみでも諦めでも強い意志でもない。或いはその全てかもしれない。そんな表情がほんの一瞬だけ現れる。この表情にわたしは目を奪われた。ここが観られただけでもお釣りが来る、とわたしは言いたい。

最後にわたし達の目の前に出てきたのは果たして「5番」だろうか。わたしは違うと思う。

その理由は説明出来ないのだけれど、あの横顔を見ているとどうしてもそう思えてしまう。彼女はそれを選ばないのではないか、と。様々な解釈が出来るだろうけど、わたしはそう思う。

そしてこうも言えるだろう。「5番」が現れるのはあの場所よりも先、もっと向こうにある大きな世界、だと。

このドイツの片隅で…踊る。【映画】『ジョジョ・ラビット』雑感。

物事というのはなかなか一元的には見られないもので。純度100%の正義もないし、また悪もないはずで、その両方は様々な状況や条件によって表になったり裏になったりするものじゃないのかな、と。

という事で観てきました。

ジョジョ・ラビット』

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予告編→YouTube

タイカ・ワイティティが繰り出すパンチはブラックユーモアと片付けるには複雑で、毒性が高く心を抉るような鋭さがあるかと思えば、同時に優しさを持っている。

ジョジョ少年は、その政治的思想を云々するのも憚れるほどの幼く、靴紐を満足に結ぶ事すら出来ない。だから彼がヒトラーを父親や親友の代替としてイメージしている事にも微笑ましさすら感じるほどで、その危うさはジョジョの不安定な精神状態と一致している。

カジュアルに描かれるヒトラーは、一見親しさすら感じさせるキャラクターになっているが、同時にそれは彼のカリスマ性を矮小化しているとも言える。直接関係ないけど投げやりな挨拶のやり取りとかね。

だからこそジョジョの成長や変化に伴い、彼の存在感は薄くなり、お互いの関係性において齟齬が生じてくる。当たり前だ。ヒトラージョジョにとっての親友でもなんでもない。

ジョジョにとってその人生のエポックメイキングとなるユダヤ人少女エルサの関係は、甘酸っぱい恋というにはハードでややこしい。エルサと出会った事でジョジョが直ちにナチスとしてのアイデンティティを捨て去る訳ではないし、またエルサも単なる悲劇のヒロイン枠組に留まっているわけでもない。

しかしそのエルサの強さ、したたかさは裏を返せばそうしなければサバイヴできない世界の状況がそうさせているのであって、時折彼女がみせる弱さやジョジョに対する慈しみのような愛情はガツンとこちらの心を撃ち抜く。

終盤の戦闘シーンには自然と涙が溢れてきた。なんの涙かは判らない。当たり前のように連合軍の勝利に終わるこの闘いは、ほぼドイツ側の視点で描かれている。銃を持ち立ち向かうのはキャプテンKやヒトラーユーゲントの少女たち、羊飼いのおじさんを始めとする市井の人々、そしてジョジョ達子供だ。

彼らは圧倒的な絶望や脳天気な楽観にも寄りかかることなく、現実的に目の前の事態に対処しているのだろう。それを今の価値観から責める事はわたし達には出来ない。その寄る辺ない感情の行き先が涙を出させているのだろうか。正直、自分でも良く判らない。ただ、とても感情を突き動かされた。

ジョジョを演じたローマン・グリフィン・デイヴィス君は実に愛らしい立ち振る舞いで素晴らしかった。根っこにある優しさと同時に幼さ故に固まった思考に盲信していき、またそれが柔軟に変化していく姿が良かった。多分気のせいだろうけど終盤少し背も伸びているように見えて文字通りその成長が感じられた。

レベル・ウィルソンコメディリリーフとしての面目躍如ぶりもスカーレット・ヨハンソンのやや現代的に思える母親像もとても良かった。ジョジョの友人のヨーキー役の子もなかなかの存在感で、幼さと妙に大人びて達観しているような姿の同居が微笑ましい。実際にはそれほど多くの時間は出ていないんだろうけど彼はとても印象的だった。

エルサ役のトーマシン・マッケンジーが持つ瑞々しさと強がりの表情もまた魅力的で秘密警察のガサ入れ時のサスペンスの場面での立ち振る舞いは見事だった。

そしてサム・ロックウェルの退廃と諦観に溢れた大佐の立ち振る舞い。最高でした。いや、良い役だったねえ。ちょっと美味しすぎるくらい。ラストのアレなんか、まあベタっちゃあベタなんだけど実に泣かせる。

という事で、言い方が難しいんだけど最後には切なく哀しい気持ちもあったような気がするし、爽やかな気分もあったのも嘘ではない。ボウイのヒーローズのドイツ語版が身体に染みこんでくるエンドクレジットなのでした。

それが、この屋敷のルール。【映画】『ナイブズ・アウト』雑感。

ここ最近のアメリカ産映画には明らかに〝トランプ以降〟という時代背景が反映されていると感じる作品が多い。

という事で観てきましたよ。

『ナイブズ・アウト』

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予告編→YouTube

古き良きミステリー物のパロディかなような設定には心地良ささえ感じる。ぼんやりと「ダニエル・クレイグが出てる」くらいの予備知識で臨んだので、クリストファー・プラマージェイミー・リー・カーチスドン・ジョンソンマイケル・シャノントニ・コレットクリス・エヴァンスというクセのあるキャステングは、ある種のサプライズ的な楽しさがある。

マルタ役のアナ・デ・アルマスのフレッシュな魅力も素晴らしいし、警部達や孫達といった役柄に至るまで、「行き届いた配役」が産み出す化学反応はこの作品の成功の要素のひとつだろう。

都会から離れたお屋敷での事件。そこは現れる名探偵、というシチュエーションはオーソドックスなミステリーを彷彿とさせる。そういったクラシカルな装いを少しオフビート的に着崩していながらも、しっかりと芯の通ったストーリー展開があって、そのオチも含めて実に見事だったという他ない。

物語が進むに連れて、これはああなんじゃないか、こうなんじゃないかと推理していくのも勿論こういう作品の愉しみ方ではあるけれど、わたし自身はストーリーに身を委ねて繰り広げられる展開を新鮮な気分で受け入れていく事でこの作品世界に浸っていたような気がする。

ライアン・ジョンソンというと何故かジェイソン・クラークの顔が浮かんでくるけど、そんな話はともかく、『最後のジェダイ』で散々な言われようだった事を思えば、実にワンスアゲイン的な仕事ぶりで、そのオリジナル脚本も実に見事だし、クセのある魅力的なアクター達のアンサンブルを巧みにまとめ上げた手腕は称賛に値する。セリフや小道具の伏線回収もスマートでラストの構図に至るまで丁寧に作られている事が判る。

この作品が持つ魅力のひとつは謎解きミステリーである事は間違いがないけれども、物語の鍵となるマルタがウルグアイからの(不法)移民の子だという要素が、アメリカの現代的な問題を作品に刻み込む。

お屋敷の中で部外者(そして真実に最も近い人物)であるマルタは、スローンビー家の面々からすると異物だ。「あなたは家族同様よ」という甘い言葉ってとは裏腹に、結局は〝私たちのお屋敷〟から出て行って欲しい、いや出て行くべきだと思っているという現実。パーティーの場で繰り広げられる政治談議。そこで交わさせる表面上のヒューマニズムが、欲望を前にしたときにその欺瞞を暴露されて行くというのはある意味で典型的ではあるかもしれないが、やはりそこに流れるテーマは非常に現代的でアクチュアルなものだ。

ある人物がマルタに放つ「このブラジル野郎」という侮蔑は、しかし彼女がウルグアイ系である事によってその発言の愚鈍さと、同時に人種問題の根深さをも感じる圧縮であった。

他者への許容とそのレベル設定はおそらく人それぞれだろうけれど、ここ数年のアメリカ映画に感じるある種の苛立ちのような、或いはそれを告発するようなムードはこの作品にもあって、それは〝トランプ以降〟であるという烙印のようにわたしは感じる。

それは声高ではないし、もちろんミステリーを気楽に愉しむ作品ではあるけれど、その隠し持ったナイフはわたし達の身体にスッと突き刺さる。

my house, my rule, my coffee と描かれたコーヒーカップ。そのカップこそがこのお屋敷の主人であるかのようなラストも素晴らしい。あのカップ、グッズとして売ってくれないかしら。

あ。そうそう。家政婦フラン役の人もとっても良かったです。

いま、そこにある希望。『新しい学校のリーダーズ/崎山蒼志 男女比一対四@高円寺HIGH』雑感。

思いのほか街中や電車でマスクをつけている人は多くない。今の状況がどれくらいの絶望感を持つべきなのか、或いはもっと楽観視できる程度なのか…そんな事はよくわからないので、目の前のひとつひとつを現実的に処理して生きていくしかない。

ということで行ってきました。

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『男女比一対四』

事前物販はやや開始が遅れ気味で、待っているとRINちゃんが入り口にお習字を貼りに出てきたのが遠目に見えた。

事前物販もまろやかに終えて、しばし駅前の居酒屋でエナジーを補充しながら開演時間を待つ。

いつものように入り口から階段フロア内のあちこちにお習字が貼ってある。

f:id:mousoudance:20200202063716j:imagef:id:mousoudance:20200202063723j:image撮れたのこれだけ…。

高円寺HIGHは初めて来たけど、ステージが高くて良いですね。今回はDJ RINによるお出迎えはなくて、HIPHOPが流れている。どこかボムスクワッドぽいというか、かと言ってPublic Enemyのハードさとは違うなと思ってたらLeaders of the New School ですと???ふふふ、思わぬ所に元ネタがあったのか。

 

崎山蒼志

いやー最高でした。最高でしたよ。フェスで何度か観てその才能には触れていたけれども、この夜は特に素晴らしいアクトでした。

曲を聴いてすぐにタイトルが浮かぶほど知識がないけれど、そんな事は関係なく溢れ出る才能を浴びてノックアウトされた。

例えばギターをかき鳴らすその指の運びだけでも白飯が5杯はいけるようで、実際わたしは多くの時間、彼の左手の動きに視線を集中させていた。ステージの中央からほぼ立ち位置を変えず、頭を揺らしながら歌うその姿を観ていると、未来は明るいのかもしれないとそう思わざるを得ない。

終盤に演った〝国〟は出色で、彼らの世代がこれから新しい時代を作っていくんだな、というのを実感する。

時を止める 僕らだけの

幸せそうな国をつくろう

かつて流した涙も忘れるくらいの

気がつけばわたしも老害と言われても反論出来ない年代になってきて、例えばポリティカルな事柄を避けるようにしてここまで生きてきた事を振り返りつつ、今の状況(をどう評価する事とは別に)を産んだ責任と無責任を突きつけられたような気持ちになった。

だから「僕ら」の中に多分わたしはいない。新しくできる国は、わたしの国ではない。でもそれは決してネガティブな気分ではなくて、これから彼やリーダーズのような世代が時代を築いていくんだな、というそんな希望のようなものすら感じた気がするのです。

いやほんと素晴らしいステージでした。

 

そんな崎山くんの素晴らしいステージが終わり、その余韻に浸っているとフロアにフリースタイルな感じでラップが流れてくる。SUZUKAちゃんだ。ありがとう→オリガトウ→オリゴ糖といったデタラメと言えばデタラメなライムだけど妙に高揚感を与えてくるのは、これもまた才能だと思いながら身体を揺らしていると、リーダーズ達がぞろぞろと現れる。

TVKの関内デビルのレポートスタイルで現れた4人の小芝居が楽しい。KANONちゃんがもっているカメラはティッシュ箱で作られていて、MIZYUちゃんのガンマイクもお手製に見える。テレビのコーナーではレポート役のRINちゃんは今回AD役に回り、SUZUKAちゃんがレポート&ディレクター役のようだ…ってこんな細かい描写必要かどうかわからないけど。

崎山くんを呼び入れてのインタビュー。KANONカメラの距離感のおかしさとか色々微笑ましい場面もありながら、『楽園にて、わたし地獄』の作詞について訊かれた崎山くんの「えーと…メロディを先に頂いてそれに詩を付けていく作業も初めてだったんですけど…和室で書きました!」という一言が脳裏に焼きついております。

 

新しい学校のリーダーズ

今回はKlangRulerによるバンドセット!!いやバンドセットはやはり良いですね。否が応でも期待が盛り上がる。そして結論から言うと期待通り、いや期待以上に素晴らしかった。リーダーズのステージは撮影可だったんだけど、結局スマホ取り出すのももったいなく一瞬一瞬を網膜に捉えるので精一杯なほど。

ベースとギターが産み出すグルーヴ、そして何よりキレのあるスネアの音が4人の動きとシンクロした時のカタルシスたるや!!!!!

開幕の〝席替ガットゥーゾ〟から〝最終人類〟の流れでもう脳汁飛び散って、パンパンのフロアで大きく動けないが、身体中の血液は沸騰していたと思う。KANONちゃんのクルクルと輝く表情が良い。もうすでにメンバー汗かいてるんじゃないかというアツさが伝わり、嗚呼今日のステージも素晴らしいものになるな、と確信する。

〝最終人類〟のさ、間奏のところのンパッンパッパンッパンッパのところ(すみません。わたしにはそう聴こえるのです)の踊りも相変わらずハード&キュートで素晴らしい。特にMIZYUちゃんの表情の変化がツボ。

〝まさ毛カンナヴァーロ〟はコミカルな歌詞なんだけど、いやーそれがカッコよくなるから不思議。SUZUKA煽りによってフロア中がまさ毛状態になったのも楽しかった。

〝オトナブルー〟はLIVEで観るのは何度目だろうか。彼女達と昭和歌謡との親和性は異常だし、バンドセットでグルーヴ度もマシマシ。この曲はSUZUKAちゃんのメインボーカルも良いんだけどMIZYUちゃんの声も良いんですよねぇ…。

そして崎山パイセンを迎えての〝楽園にて、わたし地獄〟はもう…。最高過ぎでしょ!!SUZUKA &RINコンビのバックダンサーの動きは好きすぎるし、崎山さん入れて5人で肩組んでるのグッときたなぁ。新しい時代を担う若者達の姿を見た気がする。

f:id:mousoudance:20200202080848j:imageLIVE中に唯一撮った写真は崖。

〝恋ゲバ〟からラスト〝迷えば尊し〟までの疾走するような時間は、ホントあっという間で一瞬であると同時に濃密で激しいアツイ時間でもあった。

LIVEを観るたびに、フロアの盛り上げ方も堂に入ってきたように思うんですがどうですかね。バンドメンバー紹介の後にわたし達フロアに向かって「あなた達もメンバーなんですよ!!」と言う通りにフロア全体を巻き込んで、共犯関係にしていくパワーを感じるのですよ。

4文字熟語のコール&レスポンスから始まった〝試験前夜〟はとにかく素晴らしいのだけれども、最後のショットガンシークエンスではドラムのダンダンダンダン!と4人の動きがシンクロしていて、あそこはチビりそうになった。

〝透明ボーイ〟はステージのどこを観ていいのか判らないほど見所だらけなので毎回困るのですが、RINちゃんの少し抑えたようなヴォーカルも良いし、MIZYU&KANONの盆踊りも好き。てか全部好き。

エンドレス青春ラップから〝迷えば尊し〟の流れは、最早揺るがないそのアンセム感。この時だったか別のMCだったか記憶が曖昧になってるけど、SUZUKAちゃんの「今、ここ高円寺HIGHで挙げてる手が、いつか別な場所へ繋がっていくと思います!!(意訳)」的な事を言っていて、具体的な目標ではなかったけどこれからもっともっと大きくなるぜ、という宣言にも思えてハートに突き刺さりました。

アンコールで出てきたリーダーズ達は新グッズの四次関数Tシャツを着ていて、シャツインのスタイルが控えめにいって可愛かったですね。

〝学校行けやあ゛〟は本編でのアツさを少しチルアウトさせながらもその興奮をキープさせる保温効果もあって、爽やかで清々しいエンディングだった。

崎山パイセン同様、新しい学校のリーダーズがまさに新時代の主役として存在するような未来、そんな希望をおそらくは彼女達も感じ取ったのではないか。

特典会の時に主に4人は時折ビートに乗せてラップをしていてSUZUKAちゃんが「新しい時代がやってくるー」的な事を言っていたような気がするけどよく覚えてははいない。とにかく。いやーとても良いLIVEだったし、この夜がレジェンド扱いになる日もそれほど遠くない。

そして大事な事はただひとつ。f:id:mousoudance:20200202095541j:image

 

赤をもっと…と白いドレスの女は唄う。『1/29(水)フィロソフィーのダンス・日向ハル生誕祭2020@東京キネマ倶楽部』雑感。

そういえば白いドレスの女、って映画あったなぁ。

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という事で行ってきました。

日向ハル生誕祭2020

なんだかんだと入場は開演ギリギリに。後方に位置する形となったが、ステージはよく見渡せる。

バンドメンバーが登場し、〝バイタル・テンプテーション〟を演奏し始める。心地良いグルーヴ感にゆらゆらしているとハルちゃんが登場。

と言っても最初どこにいるのか分からなくて、ふと見上げるとサブステージに現れていた事に気づくまで2秒くらいかかったかもしれない。

白いドレスのハルちゃん!可愛い…というか美しい。東京キネマ倶楽部のクラシカルなロケーションにピッタリの大人のムードが素晴らしい。階段をゆっくりと降りてステージ中央へやってくる姿に早くもクラクラしてくる。

MCで「最初の頃は生誕祭なんて何すれば良いか分からなくて…でも白いドレスを着て東京キネマ倶楽部のステージに立つ、というやりたい事が実現して嬉しい」というように、彼女のやりたい事が詰まった楽しいライブで、なにしろ歌に酔いしれるような夜だった。

「今日は今まで避けていた事にもチャレンジをしたくて…」という前置きから始まった〝フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン〟は、ドレッシーな格好にもピッタリで、新たなハルちゃんの一面を見たかのような気分になる。

この日の彼女は、普段の振付によるダンスではなく音に身を任せるように小さく身体を揺らしたり、指でリズムを取ったりしていて、その姿もまたキュートでとても良かった。

EGO-WRAPPIN、和田アキ子UA宇多丸ヒカル、椎名林檎、オリラブ、Official髭男dismというラインナップはなるほど日向ハルという存在を形成している元素のようなものかもしれない。

〝くちばしにチェリー〟ではEGO-WRAPPINのどこか背徳的で退廃なムードを残しつつも、イノセントな印象を与えていたが、それは日向ハルというフィルターを通過したからだろうか。

あの鐘を鳴らすのはあなた〟もUAの〝情熱〟も勿論良かったし、ハルちゃんが大好きだというSANABAGUNの岩間俊樹さんとのコラボも楽しかった(ちょっとアンルイスと吉川晃司の夜ヒット感なかった?ないか。)のだけれど、宇多田ヒカルの〝first love〟が唐突にハートに突き刺さってきた。抑制の効いた発声、無闇に声を張り上げる訳ではなくて、一音一音を丁寧に奏でるかのような歌声はまっすぐにこちらへ向かってくるかのようで、大袈裟ではなくわたしは少しだけのけぞった。

一方では、ハルちゃんらしいゆるい企画コーナーも。

質問コーナーでは

Q フィロのスは家族みたいだと思いますが、メンバーそれぞれの役割は何だと思いますか?

A 聴きたい?ほんとに?マリリ…お母さん、あんちゃん…子供、はす…おばあちゃん、で私が…犬!!!

と言う感じでハルちゃんがランダムに質問に答えていく。様々な質問があった中で最後の質問に選ばれたのが

Q 犬と猫どっちが好きですか?

だったというのも、なんとも言えず微笑ましい。そのほのぼのした展開もある意味で彼女らしいという気すらしてくる。ちなみに

A猫派だったけど、最近犬も良いな、と思ってきた。

そうです。

プレゼントコーナーではチケットの半券を抽選券替わりにして4名のラッキーな人が選ばれていく。キャップ、Tシャツ、CDの他に彼女が4つ目に選んだプレゼントはクレベリン。

「健康でいてね」というメッセージが妙に身体に染みてくる。

質問コーナー、プレゼントコーナーが終わるとバンドメンバーの呼び込みとともにフィロのスメンバーが登場。おとはす体調不良の為に欠席だったが、奥津さんもあんぬちゃんも赤い衣装に身を包んで現れる。いつも以上に赤が鮮やかに見えた気がするのは幻か。

奥津さんの胸元を見て「え?こんな衣装だった??」というハルちゃん。奥津さんも「久々にこの衣装着て、いまちょっと恥ずかしい…」と珍しく照れている。

3人で〝バイタル・テンプテーション〟を。ドレス&ヒールのハルちゃんは勿論のこと、奥津さんとあんぬちゃんも比較的踊りが大人しいというかしっとりとした感じ。これもまた新鮮ではあった。途中、奥津さんの胸をガシッと鷲掴みにしたりキーボードのように奏でる本能のままに行動するハルちゃんがかわええ。そんな2人の様子を静かに眺めるあんぬちゃんも最高でした。

「おとはすにも見せてあげたかった…」「いや、なんか偲んでる感じになってんじゃん」というやり取りもあり、そこにはおとはすの生霊が来ていたのかもしれない。

有志の方々が配っていた赤いコサージュ(毎度ながらヲタクの皆さんには頭が下がる)を2人もつけていて、特にかつみさゆりのボヨヨーン的な動きをしたあんぬちゃん、めちゃくちゃ可愛かったですね。

再びステージにひとり残るハルちゃん。「上手く刺さるようなカッコいい事は言えなかったけど」と彼女は言うけど、「わたしは、みんなと同じように悩みや葛藤を抱えてる。それでもわたしがもしステージで輝けているように見えるなら、それはみんなの存在があるから(意訳)」というメッセージは伝わってきたし、「つらかったら諦めて、生きても良いんだよ」という言葉はシンプルながらも心を打つものがあった。ハルちゃんらしい優しさとテイクイットイージー精神から溢れ出たフレーズだったように思う。

最後に彼女が唄ったのは、Official髭男dismの〝宿命〟だった。わたしはこの曲を聴いた事なかったが、そんなわたしにもまっすぐに届く歌声。「みんなの背中を押したくて」という彼女の想いがそのまま声に乗っかっているような、そんな気がしてくるほどに力強くそして優しさに包まれた一曲だったし、この夜のステージの素晴らしさを感じながらLIVEは終わった。

そんな感慨に浸りながらも最後の写真撮影で、センターの位置を知らされて「え?このステージのセンターってここなの???わたしずっとこっちにズレてたじゃん」という場面があったというのも実に彼女らしい一幕だったように思ったのでした。

パラダイスメタル銀河。『1/25(土)&26(日)BABYMETAL LEGEND-METAL GALAXY @幕張メッセ』雑感。

という事で2日間参戦してきました。

所々はアドレナリンが過剰に分泌されていたので記憶違いな部分があるかもしれません。

BABYMETAL LEGEND-METAL GALAXY

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今回はグッズは諦めて開場間際に行けば良いかな、という感じで幕張メッセに向かいましたが、いやこの開場待機列に行くまでがかなりのカオスでして…。

物販に向かう人、物販から出てきた人、別の待機場所に向かう人、トイレに並ぶ人などなどで通路は身動きできない状態。

まあしかしこういうライブ前のストレスというのはある程度織り込み済みで、これから始まる素晴らしいLIVEのスパイスだと思えばそれほど苦にはならない。と言い聞かせる。

DAY1〜黒浪五人娘

アイアン・メイデンの〝Fear of  the  Dark〟はベビメタ のライブで覚えた曲。LIVEバージョン、ええですね。

〝FUTURE METAL〟から始まるのはたまアリ公演と同じ。SU-METALとMOAMETALが浮かび上がる映像を観ると自然と気持ちが沸騰する。それにしてもスクリーンがデカイ!!その存在感!

アベンジャーズは百々子メタル。身体の大きさが産み出すダイナミックさとコミカルと同居したキュートさが良いですね。〝シャンティ〟のアイソレーション、首振りの時の表情かわいい。

基本アルバムの曲順でステージは進んでいく。〝Oh!MAJINAI〟の前にあった紙芝居ではかつてのおとぼけセンスが蘇っていて個人的には嬉しい。一瞬「え?おねだり…??」とフロアがざわついたがそんな事はなくて。肩組んでのコサックダンスは…次回にリベンジ。

そしてここからは鞘師メタルの登場。そうかアベンジャーズが全員出るんだな、これは。

上手く言えないけどいつもながら鞘師メタルの動きには何かを感じさせるものがある。手先まで気持ちの入ったキレ、とでも言いましょうか。〝ヤバッ!〟の時にふとモニターを観ながら改めて彼女がこのステージに立っている事のミラクルを想う。シンクロする事や既定の動きよりもプラスαが加味されることを優先している気がして、ある種の異化効果が産み出すカタルシスがそこにある。つまり何が言いたいかと言えば、鞘師メタル、かわいいよね。

〝Brand New Day〟もバックの映像とのマッチングも良くて、素晴らしかった。一瞬影絵みたいになる箇所があった気がするし、とてもカッコいい動きもあった気がするけど記憶が飛んでいる。

〝ギミチョコ〟からは華乃メタルに。MOAMETALとの親和性と初々しさはある種の懐かしさすら感じる。〝メギツネ〟が産み出す祝祭空間は脳汁がいくらあっても足りない。〝Night Night Burn!〟は「あれ?これ初披露だっけ?」という感じに身体にスッと入り込んでくる。ここでも凄くカッコいい動きがあった気がするんだけど、忘れちゃったな。

そして続く〝THE ONE 〟!来ました!来ましたよ!日本語バージョン!!!不意打ちくらって一瞬気が付かなかったくらいの衝撃。これが観れただけでもスペシャルな夜であったと断言できる。途中、SU-METALがリズム崩してる場面もあったけどそんな事すら気にならないくらいに大満足ですよ、わたしゃ。腕に乳酸溜まりまくるほど上に掲げてました。

そして紙芝居後の〝ROR〟は、そう来たかの五人揃い踏みで登場。ここも正にアベンジャーズ感あって脳汁がプシャーとなる瞬間だった。流石にこの曲の時はサークルに参加しない訳にはいかない。Bブロックやや後方に出来上がったサークルに参加しながら回転して行くうちに別のサークルと合流していて気がつけば出島の反対側にまで移動していた。

最後の挨拶では出島部分にまで5人がやってきて、その時の圧縮がこの日1番だったけど、いやSU-METALもMOAMETALもアベンジャーズも輝いていた。揉みくちゃになりながらも至福の時間。

最後の紙芝居も終わり客電が点くと、程よい疲労カタルシスが混ざった不思議な感覚がドッとやってきて、退場しながらあちこちのメイトさんとハイタッチをしたい気分になっていた。してないけど。

さて、明日も楽しみだ。

 

DAY2〜イザナミによる国造り

開場時間に合わせてのんびりと幕張に到着。クロークに荷物を預けてトイレから出てくると物販の人が減っていたのでタオルとTシャツくらいは、と購入。結局買っちゃうんだよね。入場待機場所への移動も昨日に比べるとスムーズ、というかこちらが慣れたのか。

Aブロックに入場。前日とほぼ対極の位置にて開演をジッと待つ。客入れ曲、聖飢魔II流れてたよね。

約20分遅れで〝IN THE NAME OF〟から幕開け。出島部分にはマスク姿の誰かが杖を持って観客を煽る。

続く〝Distortion〟ではSU-METALがサークルを作るかのように指をぐるぐると回す。大きなスクリーンに映し出された映像にはフロアの様子にSU-METALの姿が重なっている。嗚呼!この時の表情!その眼差し!!国作りをするイザナギ、いやイザナミかのような美しさ。

アベンジャーズは華乃メタルから。〝PA PA YA〟〝KARATE〟など定番曲は否応なく盛り上がる。毎回言ってるけど〝KARATE〟での「エビバデジャンプ!」はなかなか観れないなぁ。
バンドのソロから始まる〝Kagerou〟から百々子メタルに替わったんだったかな?
初披露の〝BxMxC〟、とにかく最高でしたね!出島にやってきた百々子メタルの煽るような踊り、キレあって良かったですよ。そしてSU-METALのフロウ!!!

鞘師メタルに替わったのは〝ヘドバンギャー!!〟からだったろうか。SU-METALの差し出す杖の元で平伏すわたし達。久々に土下座ヘドバンを。呪文のようにヘドバンヘドバンと唱える事で脳内トリップしていたと思います。なんかすぐそばにカメラ来ていた気がするけど良く覚えていません。

あ、そうそう。どの曲だったか忘れてしまったけどMOAMETALが「もっともっとホラ!」的に煽る場面がスクリーン一杯に映し出された時はフロアにどよめきが起こった。あれどの曲だったかな。

〝Starlight〟や〝Shine〟そして〝Arkadia〟がもたらすカタルシス。Liveで観る度に曲のパワーがどんどんと大きくなっている気がする。

〝Arkadia〟が終わり、興奮とクールダウンが入り混じったかのような、しばしの静寂。何となく最後はあの曲来ないかな、くる気がするけどどうかな、と期待を込めつつ手拍子をしていると始まる紙芝居…。これは…ッ!

〝IDZ〟!!!!!!!!!キターーーーーー!!!これはもちろんサークルモッシュに参加してぐるぐる回る。前日同様にアベンジャーズ揃い踏み。闘いのシークエンスではMOAMETALと華乃メタルが中央で、両脇に百々子メタル、鞘師メタルが位置取る形。ややバトルロワイヤル状態に。揃い踏みのエモさで言えば前日のRORの方があったかもしれないが、何しろ封印を解いたかのような曲の爆発力に圧倒された。

そして最後は「うぃーあーべびーめたる!」で大団円。はー大満足。

 

最後の紙芝居。メタルレジスタンスは遂に最終章を迎えるようだ。しかし紙芝居は紙芝居以上の意味を持たない。憶測で感情を上下させても仕方がない。

ONLY THE FOX GOD KNOWS …

フォード対フォード。【映画】『フォードvsフェラーリ』雑感。

わたしが十代の頃に住んでいた街ではタモリ倶楽部を確か日曜の深夜に放送していたはずだ。まさに明日から学校か、という憂鬱と直面しながらささやかな現実逃避をしていた。タモリ倶楽部が終わるとカーグラフィックTVが始まり、アウトバーンを静かに走るドイツ車をぼんやりと眺めていたものだったが、さらにその後にカメリアダイヤモンドのCMが何度か繰り返されて、いよいよ日曜日が終わるのだ。

という事で観てきました。

『フォードvsフェラーリ

f:id:mousoudance:20200119174509j:image東宝東和感あるビジュアルイメージ。

予告編→YouTube

フェラーリが関わるのはほぼ最初と最後くらいで物語の殆どはシェルビーとマイルズによる高みを目指した挑戦のストーリーだ。

しかも彼らが闘っているのはむしろフォード経営陣=功利を優先した大企業であって、物作りへの探究心、その矜恃という点では彼らとフェラーリの方が通じているとも言える。

或いは旧態依然とした業界との闘い。レース中にブレーキ交換をしようとさて「それはルール違反だ」と詰め寄られたシェルビーとマイルズは「そんなルールはない!」と突っぱねるシーンがある。新たな試みをやる者たちは時に古いルールやしきたりに邪魔をされる。背泳ぎのバサロが禁止になるように。

大きな障壁として存在するフォードではあるが、とはいえ、フォードが物作りの魂を完全に蔑ろにしている訳でもないだろう。例えばフォード2世のとてつもなく巨大な企業の後継者となった事によるコンプレックスとそれ(フォード・モーター)を維持していく事のプレッシャーはわたし達には想像もできない。

フォード2世がレーシングカーに乗り込みその圧倒的なスピードを体感した時に溢れ出た感情は、自然とわたしの心をうった。創業者、そして亡き父を想い、こんなに速い自動車が作れるような時代になった事を彼らに教えてあげたいという彼の気持ちは、やはり物作りをしてきた人間としてのプライドが残っている証のようにわたしには見えて、思わず涙腺が刺激されてしまった。

副社長のレオ・ビーブ、実在するキャラクターをここまで分かりやすい憎まれ役として描くのもアメリカらしいと言えばらしいが、終盤はそのキャラクターがどこまで維持されるのか、と別の意味でハラハしたりもして。

鑑賞前は二時間半か…なんて思っていたけど、観始めればあっという間だった。レースシーンも見応えがあるし、なにしろマイルズの特異な才能とそれにシンクロするかのようなシェルビーの姿がカタルシスを与えてくれる。7,000rpmを超えスピードが上昇する長い中でシェルビーとマイルズが感じた孤独と「その向こう側の世界」への誘いは、まるでスターゲイトを通過するかのようで、ある一点において聴こえてくる声は彼らを何かに変えるものなのだろうか。

マット・デイモンクリスチャン・ベイルも当たり前のように素晴らしい。サングラスの着脱で心理状態を暗示するマット・デイモンや孤高のドライバーである一方で息子ピーターの前でのお父さんぶりが微笑ましいマイルズの姿を立ち上がらせるチャンベイルも流石という他ない。無論ピーター役のノア・ジュープの無垢な存在感も良い。カトリーナ・バルフが演じたマイルズの妻マリーはやんちゃな男たちを慈悲深い眼差しで見守るというともすればステレオタイプに陥りがちなキャラクターを嫌味なく演じていて好印象。モリーがある場面でさりげなく手を振る姿のその絶妙なバランスは一見の価値がある。

モリーがシェルビーに向けて掲げた手はエンツォ・フェラーリが帽子を取った姿と同じように同士への合図だったのかもしれない。そのさりげない合図は大きな繋がりを感じさせる証なのだ。きっと。