妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

いま、そこにある希望。『新しい学校のリーダーズ/崎山蒼志 男女比一対四@高円寺HIGH』雑感。

思いのほか街中や電車でマスクをつけている人は多くない。今の状況がどれくらいの絶望感を持つべきなのか、或いはもっと楽観視できる程度なのか…そんな事はよくわからないので、目の前のひとつひとつを現実的に処理して生きていくしかない。

ということで行ってきました。

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『男女比一対四』

事前物販はやや開始が遅れ気味で、待っているとRINちゃんが入り口にお習字を貼りに出てきたのが遠目に見えた。

事前物販もまろやかに終えて、しばし駅前の居酒屋でエナジーを補充しながら開演時間を待つ。

いつものように入り口から階段フロア内のあちこちにお習字が貼ってある。

f:id:mousoudance:20200202063716j:imagef:id:mousoudance:20200202063723j:image撮れたのこれだけ…。

高円寺HIGHは初めて来たけど、ステージが高くて良いですね。今回はDJ RINによるお出迎えはなくて、HIPHOPが流れている。どこかボムスクワッドぽいというか、かと言ってPublic Enemyのハードさとは違うなと思ってたらLeaders of the New School ですと???ふふふ、思わぬ所に元ネタがあったのか。

 

崎山蒼志

いやー最高でした。最高でしたよ。フェスで何度か観てその才能には触れていたけれども、この夜は特に素晴らしいアクトでした。

曲を聴いてすぐにタイトルが浮かぶほど知識がないけれど、そんな事は関係なく溢れ出る才能を浴びてノックアウトされた。

例えばギターをかき鳴らすその指の運びだけでも白飯が5杯はいけるようで、実際わたしは多くの時間、彼の左手の動きに視線を集中させていた。ステージの中央からほぼ立ち位置を変えず、頭を揺らしながら歌うその姿を観ていると、未来は明るいのかもしれないとそう思わざるを得ない。

終盤に演った〝国〟は出色で、彼らの世代がこれから新しい時代を作っていくんだな、というのを実感する。

時を止める 僕らだけの

幸せそうな国をつくろう

かつて流した涙も忘れるくらいの

気がつけばわたしも老害と言われても反論出来ない年代になってきて、例えばポリティカルな事柄を避けるようにしてここまで生きてきた事を振り返りつつ、今の状況(をどう評価する事とは別に)を産んだ責任と無責任を突きつけられたような気持ちになった。

だから「僕ら」の中に多分わたしはいない。新しくできる国は、わたしの国ではない。でもそれは決してネガティブな気分ではなくて、これから彼やリーダーズのような世代が時代を築いていくんだな、というそんな希望のようなものすら感じた気がするのです。

いやほんと素晴らしいステージでした。

 

そんな崎山くんの素晴らしいステージが終わり、その余韻に浸っているとフロアにフリースタイルな感じでラップが流れてくる。SUZUKAちゃんだ。ありがとう→オリガトウ→オリゴ糖といったデタラメと言えばデタラメなライムだけど妙に高揚感を与えてくるのは、これもまた才能だと思いながら身体を揺らしていると、リーダーズ達がぞろぞろと現れる。

TVKの関内デビルのレポートスタイルで現れた4人の小芝居が楽しい。KANONちゃんがもっているカメラはティッシュ箱で作られていて、MIZYUちゃんのガンマイクもお手製に見える。テレビのコーナーではレポート役のRINちゃんは今回AD役に回り、SUZUKAちゃんがレポート&ディレクター役のようだ…ってこんな細かい描写必要かどうかわからないけど。

崎山くんを呼び入れてのインタビュー。KANONカメラの距離感のおかしさとか色々微笑ましい場面もありながら、『楽園にて、わたし地獄』の作詞について訊かれた崎山くんの「えーと…メロディを先に頂いてそれに詩を付けていく作業も初めてだったんですけど…和室で書きました!」という一言が脳裏に焼きついております。

 

新しい学校のリーダーズ

今回はKlangRulerによるバンドセット!!いやバンドセットはやはり良いですね。否が応でも期待が盛り上がる。そして結論から言うと期待通り、いや期待以上に素晴らしかった。リーダーズのステージは撮影可だったんだけど、結局スマホ取り出すのももったいなく一瞬一瞬を網膜に捉えるので精一杯なほど。

ベースとギターが産み出すグルーヴ、そして何よりキレのあるスネアの音が4人の動きとシンクロした時のカタルシスたるや!!!!!

開幕の〝席替ガットゥーゾ〟から〝最終人類〟の流れでもう脳汁飛び散って、パンパンのフロアで大きく動けないが、身体中の血液は沸騰していたと思う。KANONちゃんのクルクルと輝く表情が良い。もうすでにメンバー汗かいてるんじゃないかというアツさが伝わり、嗚呼今日のステージも素晴らしいものになるな、と確信する。

〝最終人類〟のさ、間奏のところのンパッンパッパンッパンッパのところ(すみません。わたしにはそう聴こえるのです)の踊りも相変わらずハード&キュートで素晴らしい。特にMIZYUちゃんの表情の変化がツボ。

〝まさ毛カンナヴァーロ〟はコミカルな歌詞なんだけど、いやーそれがカッコよくなるから不思議。SUZUKA煽りによってフロア中がまさ毛状態になったのも楽しかった。

〝オトナブルー〟はLIVEで観るのは何度目だろうか。彼女達と昭和歌謡との親和性は異常だし、バンドセットでグルーヴ度もマシマシ。この曲はSUZUKAちゃんのメインボーカルも良いんだけどMIZYUちゃんの声も良いんですよねぇ…。

そして崎山パイセンを迎えての〝楽園にて、わたし地獄〟はもう…。最高過ぎでしょ!!SUZUKA &RINコンビのバックダンサーの動きは好きすぎるし、崎山さん入れて5人で肩組んでるのグッときたなぁ。新しい時代を担う若者達の姿を見た気がする。

f:id:mousoudance:20200202080848j:imageLIVE中に唯一撮った写真は崖。

〝恋ゲバ〟からラスト〝迷えば尊し〟までの疾走するような時間は、ホントあっという間で一瞬であると同時に濃密で激しいアツイ時間でもあった。

LIVEを観るたびに、フロアの盛り上げ方も堂に入ってきたように思うんですがどうですかね。バンドメンバー紹介の後にわたし達フロアに向かって「あなた達もメンバーなんですよ!!」と言う通りにフロア全体を巻き込んで、共犯関係にしていくパワーを感じるのですよ。

4文字熟語のコール&レスポンスから始まった〝試験前夜〟はとにかく素晴らしいのだけれども、最後のショットガンシークエンスではドラムのダンダンダンダン!と4人の動きがシンクロしていて、あそこはチビりそうになった。

〝透明ボーイ〟はステージのどこを観ていいのか判らないほど見所だらけなので毎回困るのですが、RINちゃんの少し抑えたようなヴォーカルも良いし、MIZYU&KANONの盆踊りも好き。てか全部好き。

エンドレス青春ラップから〝迷えば尊し〟の流れは、最早揺るがないそのアンセム感。この時だったか別のMCだったか記憶が曖昧になってるけど、SUZUKAちゃんの「今、ここ高円寺HIGHで挙げてる手が、いつか別な場所へ繋がっていくと思います!!(意訳)」的な事を言っていて、具体的な目標ではなかったけどこれからもっともっと大きくなるぜ、という宣言にも思えてハートに突き刺さりました。

アンコールで出てきたリーダーズ達は新グッズの四次関数Tシャツを着ていて、シャツインのスタイルが控えめにいって可愛かったですね。

〝学校行けやあ゛〟は本編でのアツさを少しチルアウトさせながらもその興奮をキープさせる保温効果もあって、爽やかで清々しいエンディングだった。

崎山パイセン同様、新しい学校のリーダーズがまさに新時代の主役として存在するような未来、そんな希望をおそらくは彼女達も感じ取ったのではないか。

特典会の時に主に4人は時折ビートに乗せてラップをしていてSUZUKAちゃんが「新しい時代がやってくるー」的な事を言っていたような気がするけどよく覚えてははいない。とにかく。いやーとても良いLIVEだったし、この夜がレジェンド扱いになる日もそれほど遠くない。

そして大事な事はただひとつ。f:id:mousoudance:20200202095541j:image

 

赤をもっと…と白いドレスの女は唄う。『1/29(水)フィロソフィーのダンス・日向ハル生誕祭2020@東京キネマ倶楽部』雑感。

そういえば白いドレスの女、って映画あったなぁ。

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という事で行ってきました。

日向ハル生誕祭2020

なんだかんだと入場は開演ギリギリに。後方に位置する形となったが、ステージはよく見渡せる。

バンドメンバーが登場し、〝バイタル・テンプテーション〟を演奏し始める。心地良いグルーヴ感にゆらゆらしているとハルちゃんが登場。

と言っても最初どこにいるのか分からなくて、ふと見上げるとサブステージに現れていた事に気づくまで2秒くらいかかったかもしれない。

白いドレスのハルちゃん!可愛い…というか美しい。東京キネマ倶楽部のクラシカルなロケーションにピッタリの大人のムードが素晴らしい。階段をゆっくりと降りてステージ中央へやってくる姿に早くもクラクラしてくる。

MCで「最初の頃は生誕祭なんて何すれば良いか分からなくて…でも白いドレスを着て東京キネマ倶楽部のステージに立つ、というやりたい事が実現して嬉しい」というように、彼女のやりたい事が詰まった楽しいライブで、なにしろ歌に酔いしれるような夜だった。

「今日は今まで避けていた事にもチャレンジをしたくて…」という前置きから始まった〝フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン〟は、ドレッシーな格好にもピッタリで、新たなハルちゃんの一面を見たかのような気分になる。

この日の彼女は、普段の振付によるダンスではなく音に身を任せるように小さく身体を揺らしたり、指でリズムを取ったりしていて、その姿もまたキュートでとても良かった。

EGO-WRAPPIN、和田アキ子UA宇多丸ヒカル、椎名林檎、オリラブ、Official髭男dismというラインナップはなるほど日向ハルという存在を形成している元素のようなものかもしれない。

〝くちばしにチェリー〟ではEGO-WRAPPINのどこか背徳的で退廃なムードを残しつつも、イノセントな印象を与えていたが、それは日向ハルというフィルターを通過したからだろうか。

あの鐘を鳴らすのはあなた〟もUAの〝情熱〟も勿論良かったし、ハルちゃんが大好きだというSANABAGUNの岩間俊樹さんとのコラボも楽しかった(ちょっとアンルイスと吉川晃司の夜ヒット感なかった?ないか。)のだけれど、宇多田ヒカルの〝first love〟が唐突にハートに突き刺さってきた。抑制の効いた発声、無闇に声を張り上げる訳ではなくて、一音一音を丁寧に奏でるかのような歌声はまっすぐにこちらへ向かってくるかのようで、大袈裟ではなくわたしは少しだけのけぞった。

一方では、ハルちゃんらしいゆるい企画コーナーも。

質問コーナーでは

Q フィロのスは家族みたいだと思いますが、メンバーそれぞれの役割は何だと思いますか?

A 聴きたい?ほんとに?マリリ…お母さん、あんちゃん…子供、はす…おばあちゃん、で私が…犬!!!

と言う感じでハルちゃんがランダムに質問に答えていく。様々な質問があった中で最後の質問に選ばれたのが

Q 犬と猫どっちが好きですか?

だったというのも、なんとも言えず微笑ましい。そのほのぼのした展開もある意味で彼女らしいという気すらしてくる。ちなみに

A猫派だったけど、最近犬も良いな、と思ってきた。

そうです。

プレゼントコーナーではチケットの半券を抽選券替わりにして4名のラッキーな人が選ばれていく。キャップ、Tシャツ、CDの他に彼女が4つ目に選んだプレゼントはクレベリン。

「健康でいてね」というメッセージが妙に身体に染みてくる。

質問コーナー、プレゼントコーナーが終わるとバンドメンバーの呼び込みとともにフィロのスメンバーが登場。おとはす体調不良の為に欠席だったが、奥津さんもあんぬちゃんも赤い衣装に身を包んで現れる。いつも以上に赤が鮮やかに見えた気がするのは幻か。

奥津さんの胸元を見て「え?こんな衣装だった??」というハルちゃん。奥津さんも「久々にこの衣装着て、いまちょっと恥ずかしい…」と珍しく照れている。

3人で〝バイタル・テンプテーション〟を。ドレス&ヒールのハルちゃんは勿論のこと、奥津さんとあんぬちゃんも比較的踊りが大人しいというかしっとりとした感じ。これもまた新鮮ではあった。途中、奥津さんの胸をガシッと鷲掴みにしたりキーボードのように奏でる本能のままに行動するハルちゃんがかわええ。そんな2人の様子を静かに眺めるあんぬちゃんも最高でした。

「おとはすにも見せてあげたかった…」「いや、なんか偲んでる感じになってんじゃん」というやり取りもあり、そこにはおとはすの生霊が来ていたのかもしれない。

有志の方々が配っていた赤いコサージュ(毎度ながらヲタクの皆さんには頭が下がる)を2人もつけていて、特にかつみさゆりのボヨヨーン的な動きをしたあんぬちゃん、めちゃくちゃ可愛かったですね。

再びステージにひとり残るハルちゃん。「上手く刺さるようなカッコいい事は言えなかったけど」と彼女は言うけど、「わたしは、みんなと同じように悩みや葛藤を抱えてる。それでもわたしがもしステージで輝けているように見えるなら、それはみんなの存在があるから(意訳)」というメッセージは伝わってきたし、「つらかったら諦めて、生きても良いんだよ」という言葉はシンプルながらも心を打つものがあった。ハルちゃんらしい優しさとテイクイットイージー精神から溢れ出たフレーズだったように思う。

最後に彼女が唄ったのは、Official髭男dismの〝宿命〟だった。わたしはこの曲を聴いた事なかったが、そんなわたしにもまっすぐに届く歌声。「みんなの背中を押したくて」という彼女の想いがそのまま声に乗っかっているような、そんな気がしてくるほどに力強くそして優しさに包まれた一曲だったし、この夜のステージの素晴らしさを感じながらLIVEは終わった。

そんな感慨に浸りながらも最後の写真撮影で、センターの位置を知らされて「え?このステージのセンターってここなの???わたしずっとこっちにズレてたじゃん」という場面があったというのも実に彼女らしい一幕だったように思ったのでした。

パラダイスメタル銀河。『1/25(土)&26(日)BABYMETAL LEGEND-METAL GALAXY @幕張メッセ』雑感。

という事で2日間参戦してきました。

所々はアドレナリンが過剰に分泌されていたので記憶違いな部分があるかもしれません。

BABYMETAL LEGEND-METAL GALAXY

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今回はグッズは諦めて開場間際に行けば良いかな、という感じで幕張メッセに向かいましたが、いやこの開場待機列に行くまでがかなりのカオスでして…。

物販に向かう人、物販から出てきた人、別の待機場所に向かう人、トイレに並ぶ人などなどで通路は身動きできない状態。

まあしかしこういうライブ前のストレスというのはある程度織り込み済みで、これから始まる素晴らしいLIVEのスパイスだと思えばそれほど苦にはならない。と言い聞かせる。

DAY1〜黒浪五人娘

アイアン・メイデンの〝Fear of  the  Dark〟はベビメタ のライブで覚えた曲。LIVEバージョン、ええですね。

〝FUTURE METAL〟から始まるのはたまアリ公演と同じ。SU-METALとMOAMETALが浮かび上がる映像を観ると自然と気持ちが沸騰する。それにしてもスクリーンがデカイ!!その存在感!

アベンジャーズは百々子メタル。身体の大きさが産み出すダイナミックさとコミカルと同居したキュートさが良いですね。〝シャンティ〟のアイソレーション、首振りの時の表情かわいい。

基本アルバムの曲順でステージは進んでいく。〝Oh!MAJINAI〟の前にあった紙芝居ではかつてのおとぼけセンスが蘇っていて個人的には嬉しい。一瞬「え?おねだり…??」とフロアがざわついたがそんな事はなくて。肩組んでのコサックダンスは…次回にリベンジ。

そしてここからは鞘師メタルの登場。そうかアベンジャーズが全員出るんだな、これは。

上手く言えないけどいつもながら鞘師メタルの動きには何かを感じさせるものがある。手先まで気持ちの入ったキレ、とでも言いましょうか。〝ヤバッ!〟の時にふとモニターを観ながら改めて彼女がこのステージに立っている事のミラクルを想う。シンクロする事や既定の動きよりもプラスαが加味されることを優先している気がして、ある種の異化効果が産み出すカタルシスがそこにある。つまり何が言いたいかと言えば、鞘師メタル、かわいいよね。

〝Brand New Day〟もバックの映像とのマッチングも良くて、素晴らしかった。一瞬影絵みたいになる箇所があった気がするし、とてもカッコいい動きもあった気がするけど記憶が飛んでいる。

〝ギミチョコ〟からは華乃メタルに。MOAMETALとの親和性と初々しさはある種の懐かしさすら感じる。〝メギツネ〟が産み出す祝祭空間は脳汁がいくらあっても足りない。〝Night Night Burn!〟は「あれ?これ初披露だっけ?」という感じに身体にスッと入り込んでくる。ここでも凄くカッコいい動きがあった気がするんだけど、忘れちゃったな。

そして続く〝THE ONE 〟!来ました!来ましたよ!日本語バージョン!!!不意打ちくらって一瞬気が付かなかったくらいの衝撃。これが観れただけでもスペシャルな夜であったと断言できる。途中、SU-METALがリズム崩してる場面もあったけどそんな事すら気にならないくらいに大満足ですよ、わたしゃ。腕に乳酸溜まりまくるほど上に掲げてました。

そして紙芝居後の〝ROR〟は、そう来たかの五人揃い踏みで登場。ここも正にアベンジャーズ感あって脳汁がプシャーとなる瞬間だった。流石にこの曲の時はサークルに参加しない訳にはいかない。Bブロックやや後方に出来上がったサークルに参加しながら回転して行くうちに別のサークルと合流していて気がつけば出島の反対側にまで移動していた。

最後の挨拶では出島部分にまで5人がやってきて、その時の圧縮がこの日1番だったけど、いやSU-METALもMOAMETALもアベンジャーズも輝いていた。揉みくちゃになりながらも至福の時間。

最後の紙芝居も終わり客電が点くと、程よい疲労カタルシスが混ざった不思議な感覚がドッとやってきて、退場しながらあちこちのメイトさんとハイタッチをしたい気分になっていた。してないけど。

さて、明日も楽しみだ。

 

DAY2〜イザナミによる国造り

開場時間に合わせてのんびりと幕張に到着。クロークに荷物を預けてトイレから出てくると物販の人が減っていたのでタオルとTシャツくらいは、と購入。結局買っちゃうんだよね。入場待機場所への移動も昨日に比べるとスムーズ、というかこちらが慣れたのか。

Aブロックに入場。前日とほぼ対極の位置にて開演をジッと待つ。客入れ曲、聖飢魔II流れてたよね。

約20分遅れで〝IN THE NAME OF〟から幕開け。出島部分にはマスク姿の誰かが杖を持って観客を煽る。

続く〝Distortion〟ではSU-METALがサークルを作るかのように指をぐるぐると回す。大きなスクリーンに映し出された映像にはフロアの様子にSU-METALの姿が重なっている。嗚呼!この時の表情!その眼差し!!国作りをするイザナギ、いやイザナミかのような美しさ。

アベンジャーズは華乃メタルから。〝PA PA YA〟〝KARATE〟など定番曲は否応なく盛り上がる。毎回言ってるけど〝KARATE〟での「エビバデジャンプ!」はなかなか観れないなぁ。
バンドのソロから始まる〝Kagerou〟から百々子メタルに替わったんだったかな?
初披露の〝BxMxC〟、とにかく最高でしたね!出島にやってきた百々子メタルの煽るような踊り、キレあって良かったですよ。そしてSU-METALのフロウ!!!

鞘師メタルに替わったのは〝ヘドバンギャー!!〟からだったろうか。SU-METALの差し出す杖の元で平伏すわたし達。久々に土下座ヘドバンを。呪文のようにヘドバンヘドバンと唱える事で脳内トリップしていたと思います。なんかすぐそばにカメラ来ていた気がするけど良く覚えていません。

あ、そうそう。どの曲だったか忘れてしまったけどMOAMETALが「もっともっとホラ!」的に煽る場面がスクリーン一杯に映し出された時はフロアにどよめきが起こった。あれどの曲だったかな。

〝Starlight〟や〝Shine〟そして〝Arkadia〟がもたらすカタルシス。Liveで観る度に曲のパワーがどんどんと大きくなっている気がする。

〝Arkadia〟が終わり、興奮とクールダウンが入り混じったかのような、しばしの静寂。何となく最後はあの曲来ないかな、くる気がするけどどうかな、と期待を込めつつ手拍子をしていると始まる紙芝居…。これは…ッ!

〝IDZ〟!!!!!!!!!キターーーーーー!!!これはもちろんサークルモッシュに参加してぐるぐる回る。前日同様にアベンジャーズ揃い踏み。闘いのシークエンスではMOAMETALと華乃メタルが中央で、両脇に百々子メタル、鞘師メタルが位置取る形。ややバトルロワイヤル状態に。揃い踏みのエモさで言えば前日のRORの方があったかもしれないが、何しろ封印を解いたかのような曲の爆発力に圧倒された。

そして最後は「うぃーあーべびーめたる!」で大団円。はー大満足。

 

最後の紙芝居。メタルレジスタンスは遂に最終章を迎えるようだ。しかし紙芝居は紙芝居以上の意味を持たない。憶測で感情を上下させても仕方がない。

ONLY THE FOX GOD KNOWS …

フォード対フォード。【映画】『フォードvsフェラーリ』雑感。

わたしが十代の頃に住んでいた街ではタモリ倶楽部を確か日曜の深夜に放送していたはずだ。まさに明日から学校か、という憂鬱と直面しながらささやかな現実逃避をしていた。タモリ倶楽部が終わるとカーグラフィックTVが始まり、アウトバーンを静かに走るドイツ車をぼんやりと眺めていたものだったが、さらにその後にカメリアダイヤモンドのCMが何度か繰り返されて、いよいよ日曜日が終わるのだ。

という事で観てきました。

『フォードvsフェラーリ

f:id:mousoudance:20200119174509j:image東宝東和感あるビジュアルイメージ。

予告編→YouTube

フェラーリが関わるのはほぼ最初と最後くらいで物語の殆どはシェルビーとマイルズによる高みを目指した挑戦のストーリーだ。

しかも彼らが闘っているのはむしろフォード経営陣=功利を優先した大企業であって、物作りへの探究心、その矜恃という点では彼らとフェラーリの方が通じているとも言える。

或いは旧態依然とした業界との闘い。レース中にブレーキ交換をしようとさて「それはルール違反だ」と詰め寄られたシェルビーとマイルズは「そんなルールはない!」と突っぱねるシーンがある。新たな試みをやる者たちは時に古いルールやしきたりに邪魔をされる。背泳ぎのバサロが禁止になるように。

大きな障壁として存在するフォードではあるが、とはいえ、フォードが物作りの魂を完全に蔑ろにしている訳でもないだろう。例えばフォード2世のとてつもなく巨大な企業の後継者となった事によるコンプレックスとそれ(フォード・モーター)を維持していく事のプレッシャーはわたし達には想像もできない。

フォード2世がレーシングカーに乗り込みその圧倒的なスピードを体感した時に溢れ出た感情は、自然とわたしの心をうった。創業者、そして亡き父を想い、こんなに速い自動車が作れるような時代になった事を彼らに教えてあげたいという彼の気持ちは、やはり物作りをしてきた人間としてのプライドが残っている証のようにわたしには見えて、思わず涙腺が刺激されてしまった。

副社長のレオ・ビーブ、実在するキャラクターをここまで分かりやすい憎まれ役として描くのもアメリカらしいと言えばらしいが、終盤はそのキャラクターがどこまで維持されるのか、と別の意味でハラハしたりもして。

鑑賞前は二時間半か…なんて思っていたけど、観始めればあっという間だった。レースシーンも見応えがあるし、なにしろマイルズの特異な才能とそれにシンクロするかのようなシェルビーの姿がカタルシスを与えてくれる。7,000rpmを超えスピードが上昇する長い中でシェルビーとマイルズが感じた孤独と「その向こう側の世界」への誘いは、まるでスターゲイトを通過するかのようで、ある一点において聴こえてくる声は彼らを何かに変えるものなのだろうか。

マット・デイモンクリスチャン・ベイルも当たり前のように素晴らしい。サングラスの着脱で心理状態を暗示するマット・デイモンや孤高のドライバーである一方で息子ピーターの前でのお父さんぶりが微笑ましいマイルズの姿を立ち上がらせるチャンベイルも流石という他ない。無論ピーター役のノア・ジュープの無垢な存在感も良い。カトリーナ・バルフが演じたマイルズの妻マリーはやんちゃな男たちを慈悲深い眼差しで見守るというともすればステレオタイプに陥りがちなキャラクターを嫌味なく演じていて好印象。モリーがある場面でさりげなく手を振る姿のその絶妙なバランスは一見の価値がある。

モリーがシェルビーに向けて掲げた手はエンツォ・フェラーリが帽子を取った姿と同じように同士への合図だったのかもしれない。そのさりげない合図は大きな繋がりを感じさせる証なのだ。きっと。

マカレナ踊る人、踊らない人。【映画】『リチャード・ジュエル』雑感。

何か事件が起こった時、「これ、この人が犯人なんじゃないの?」と勝手な推測をしてしまう事は多い。それが愚かな事だとは判ってはいるものの、情報の断片が膨大に溢れる中である一定の方向へ意識が引っ張られていく事に強く抗える人は少ないし、正確な情報を収集すること或いはそれが正確である事を検証する事も難しい。

であるならば、せめてそういった情報のモザイクにおける信憑性を疑うくらいの事はしなければならない。のかな。

という事で観てきました。

『リチャード・ジュエル』

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予告編→YouTube

いやとにかくポール・ウォルター・ハウザーが素晴らしい。『アイ、トーニャ』や『ブラック・クランズマン』、あるいはYouTubeドラマシリーズの『コブラ会』におけるいわゆる〝怪演〟が印象深い彼だが、今作における非常に繊細な演技には正直驚いた。いや、見損なってました、ホントに。

『アイ、トーニャ』で演じた社会の末端にいながら自己顕示欲が空回りする男とキャラクターとしては紙一重なリチャード・ジュエル。その無防備さが産み出す拒絶と許容の境界線を綱渡りするようなキャラクターは彼にしか演じられないとまで思わせた。拍手拍手です。

ケレン味を排除した削ぎ落とされたようなシンプルな作りでありながら、画面から伝わる〝手触り〟にスッと心を奪われるような、そんなイーストウッドの凄みをいまさら声高に言う必要もないのだけれど。

近年彼が扱う〝実録〟シリーズはどこか登場人物達の魂を救うような視点を感じて、しかもそれを大上段に構えず静かな語り口で紡ぎ出している。そんな切り取り方が実際の出来事を素材にしながらも、どこか寓話的な感触のあるものにさせているのかもしれない。

赦しと救済、そしてワンスアゲイン。それはわたしがついつい色んな作品に見出そうとする要素であるが、今作においてもそれは例外ではない。例えば弁護士のワトソン・ブライアントも法曹界のメインストリートからは外れた道を歩んでいるようだ。或いはFBIのトム・ショー捜査官もそうで恐らくは地元のお祭り担当というのは華やかな仕事ではなくて、そんな彼にとって爆弾事件は出世への足掛かりであったはずだ。または記者のキャシー・フラッグスも、彼女は一見大きな挫折はないようだけどリチャードを騒ぎの主人公に祭り上げてしまった事への贖罪の気持ちを感じていたかもしれない。

というようにそれぞれが赦しやワンスアゲインの物語を持っている。しかしその物語は強調はされず、というよりは放置されているといった方が近い。この作品の中ではそういったカタルシスは必要ないし、実際に彼らはワンスアゲインのステージには立っていない。リアルな人生とはそんなものだ。

唯一、ワンスアゲインを成功させたのはリチャードのみであると言えるのだけれど、しかしそんな彼も物語も長続きはしない。やはり、人生とはそんなものなのかもしれないね。

そうそう!撮影が素晴らしかった!派手なカメラワークがある訳ではなく構図も実にシンプルなんだけど画面から力が伝わるというか。

特にバーのシーンの赤と青の照明!!!あそこはかなりグッと来た。2人の男女の心の動き、葛藤や決断といった本来カメラにはうつしえないものを捉えるあの感じ。

イーストウッド作品で言えば『ヒアアフター』でマリーが恋人との会話の中でふと相手との距離感、断絶を感じる場面があった。あの時も実にシンプルなカットでありながら画面からはっきりとそういう空気の変化が伝わってきて印象的だったが、今作におけるバーのシーンもそんな映画的マジックを感じる一瞬だった。

そういう一瞬を感じるだけでも映画を観る価値というのはある、と本気で思っています。

という事でタイトルバックからエンドクレジットに至るまでシンプルに研ぎ澄まされたイーストウッドの熟練を身体に染み込ませる、そんな一品でした。

20年代の鐘を鳴らすのは誰だ。『1/17(金)SHINJUKU LOFT KABUKI-CHO 20TH ANNIVERSARY 東京STREET2020@ 新宿LOFT どぶろっかーず/BiS/CARRY LOOSE/フィロソフィーのダンス』雑感。

Twitterのタイムラインをぼんやりと眺めていると、あんぬちゃんがある4コママンガをリツイートしていた。

どうやらかなり前から話題になっていたようだがわたしの低いアンテナ感度ではキャッチしてなくて初めて知ったんどけど、いやこれ凄いですね。日常の小さな幸せと死ぬまで〇〇日という定められた運命の残酷さ、というだけでは語り尽くせない。

という事で行ってきました。

SHINJUKU LOFT KABUKI-CHO 20TH ANNIVERSARY
『東京STREET2020』

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わたしにとっては明けましておめでとうのフィロのス初め。でございます。

BiS

 bisと言えば…

Kandy Pop

Kandy Pop

ってこのボケはもう良いか。

初見です。少し遠目から観ていたのですが、なるほど確かにステージとフロアで共犯関係を作り出そうとしている空間に誘われるというか。

思いのほかBiSという名前からイメージされるものよりも、アイドル一年生的な頑張りを強く感じる。チャントモンキーさんのダンス、割と好きです。

どぶろっかーず

これはナーメテーターでした。見覚えのあるネタもバンドセットになると普通にカッコいい曲に。シャンペン・スーパーノヴァとドンルクが混じったような『さよなら69(と勝手に名付けたけど)』は名曲過ぎて困る。男の切ない片想いを朗々と歌い上げた珠玉のバラード『シコれども…』のパワーたるや。いやはや、流石という他ないエンタメっぷりでした。

CARRY LOOSE

解体と再生を繰り返しているというイメージがWACKのグループにはあって、各々のグループの出発点というか起源がどこにあるのかが外野から見ていると分からない。しかし、分からないからこそなのか、無防備に対峙していると時折ハッとする場面に出会う事もある。

ズバリ『CARRY LOOSE 』という曲のアンセム感、良いですね。この曲の時はコールやMIXも控えめであったことにも何かしら意味を見出そうとする悪い癖。

フィロソフィーのダンス

さて、ようやくわたしのフィロのス2020が幕を開けた。昨年暮れのツアーファイナル以来となる彼女達のステージは当たり前のように最高でした。

転換時間なんかいらねぇ、とばかりにFunky but Chicがフロアに鳴り響いた時のゾクゾク感は(どぶろっかーずとは別の意味で)大人の時間の始まりを予感させた。

〝ダンス・オア・ダンス〟からの約30分のステージは貫禄すら感じる落ち着きと同時に熱いパッションに満ちていた。

例えばこの夜はハウリングやおそらくはマイクのぶつかる音だろうか「ゴトッ」というノイズが時折聴こえてきたけれど、それはLIVE=生身のリアルさの証であるかのようでもあって、スピーカー近くに来たおとはすがハウリングに驚きつつも一瞬のうちにキュートな表情に変換させる様や〝すききらいアンチノミー〟の時だったと思うけどスピーカー近くに客を煽りに来たあんぬちゃんが咄嗟にハウリングを避けるようにマイクの持ち手をスッと替えた一瞬の動きをわたしは見逃していないが、そういうところにも積み重ねてきた経験が感じられてグッとくるところだ。

〝コモンセンス・バスターズ〟などで奥津さんやハルちゃんが随所で魅せるフェイクは否応なくこちらの感情を掻き立てくるのは勿論の事、この2人は歌っていない時のダンスも最高なのです。ハルちゃんのアイソレーションっぽい首の動きと肩がグイッて入るあの感じ(上手く説明出来ない!!)、良いですよね。

〝イッツ・マイ・ターン〟の

今からそうだ 関係ってやつを全部塗り替えるから

always my turn

のalways my turn の時の動きは個人的ににゃんこスターと呼んでいて、この曲の中でも好きなところのひとつ。4人それぞれの「にゃんこスター」があって毎回新しい発見があります。この夜は位置的に奥津さんの姿がよく見えて、彼女の動きに悶絶しそうになったのはここだけの秘密。

それにしても〝シスター〟はやはり良い。歌はもちろんのこと、ダンスが良いんですよ。滑らかさと同時にキレのある動きがあって、そんな動きが産み出すアツさは単なる激しさとは違う何かがある。それぞれの個性が重なり合って出来上がるグルーヴに静かにエキサイトする。へーーーーい!

大トリ感のある〝ダンス・ファウンダー〟でシメられたLIVEは冒頭にも記したように貫禄すら感じる安定感でフィロのスのヲタクの端くれとしても良いLIVE初めになった気がします。

100日後に死ぬワニではないけど、日々の小さな幸せはついつい疎かにしてしまいガチだ。新年早々こんな事言うのもアレだけど、いやでもそれは真実で、だからLIVEのひとつひとつイベントのひとつひとつはそれぞれ愛おしく大切な時間ということを噛みしめなければならない。

そんなことをぼんやりと考えていたら、下りた幕の向こうから「大きなイチモツをくださいーーー」と歌うハルちゃんの声が聴こえてきて、いやホントこういうところですよ。フィロちゃんズの良さは!と改めて感じたというお話。

想い出はいつも綺麗でズルイ。『1/13(祝)神聖かまってちゃん メランコリー×メランコリーツアー 最終日@Zepp ダイバーシティ』

2011年の春以降、呑気な楽観論と過剰な絶望に挟まれてうんざりしていたわたしの心にエネルギーを与えてくれた曲があって、ひとつはももクロの『Z伝説』であり、もう一つが神聖かまってちゃんの『僕は頑張るよっ』だった。

何かはっきりとした指針を求めていたわたしにとって〝絶対諦めない〟というストレートなメッセージと〝みんな死ぬよ あっさり死ぬよ 僕は頑張るよっ〟という宣言は強烈なパワーを与えてくれたと思っている。

という事で行ってきましたよ。

神聖かまってちゃん メランコリー×メランコリーツアー』最終日

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とは言いながら、かまってちゃんのライブに行くのもかなり久しぶりで…8年ぶりくらいかもしれない。今回はちばぎんの最後の姿を見届けるために参戦することにした。

経済的な理由でバンドから離れる決心をしたというちばぎん、トリッキーなの子さんとバランスを取るかのようなその立ち位置はある種の癒しでもあり、このバンドへの貢献度は計り知れない。しかし、かまってちゃんクラスでも生活していくためにバンドを辞めなきゃならないなんて世知辛い話ですね。

LIVEも久しぶりで曲名を忘れていたり、下手したら初見の曲もあったかもしれないが、しかしそんな事は一切関係なく〝怒鳴るゆめ〟から始まったセトリは、その音楽を浴びている間にあっという間に終わってしまった。

何度か繰り返されるの子さんの「お前たちの!衝動をッ…!くれよ!!声を出さなくても良い、棒立ち人間でも体育座りでも良い。でも中にある衝動を!衝動をくれよ!!!」というMCを聴くと、かまってちゃんのライブに来ていると実感する。

〝レッツゴー武道館っ!〟〝夕暮れメモライザ〟といった懐かしい曲を聴くたびに、ちばぎんのいる4人のかまってちゃんも見納めだな、と実感する。

〝夜空の虫とどこまでも〟から始まったレーザー演出はなかなかのもので、音楽と光に包まれているだけでトビそうになる。因みに160万かかっているらしい。

ぺんてるの時はの子さん本人も言っていたようにかなり感情がこもっていたように思えて、ちょっぴり目が潤んでしまった。

アンコールは「ちばぎんコール」で、出てくるなり「主役は俺だ!!!」と主張するの子さん。

〝ロックンロールは鳴り止まないっ〟から〝フロントメモリーの流れは完璧と言ってもよく、これで終わりでもいいような気もしていた。しかし、こんな予定調和的に綺麗にまとまる訳がない。

ダブルアンコールで再び当時すると、「何故ちばぎんが〝怒鳴るゆめ〟を最初の曲に持ってきたのか。多分一番始め、神聖かまってちゃんの始まりの最初のデモテープがこの曲だったから。どう?ちばぎん説明してよ」と無茶振りをするの子さん。でもちょっとこのエピソードだけで涙腺が刺激される。始まりの始まり、神聖かまってちゃんの歴史におけるビッグバン。そんな曲から始まるセトリだったのか。

「ホントに最後の一曲。終わりの終わりの終わりまで、お前たちの衝動をくれよ!」というアジテーションで始まった〝23才の夏休み〟

これで4人のかまってちゃんが終わってしまう…そんなセンチメントに包まれているといきなりの子さんはギターを捨て、ちばぎんの演奏も止めてお立ち台に2人で並ぶ。「あーーーー!もう、ちばぎんに二度と会えないかもしれない!!」といったかと思うと「幼稚園の頃、ちばぎんの家でやった誕生日会。その時にパクったキラカード、見つけてきたよ」と言い始めた。このグダグダも彼ららしいね、なんて思っていたらこの後にとんでもない展開が待っていた。

「幼稚園の頃からずーっとちばぎんから預かっていた魂。それを今日返すッ…!」

と言ってちばぎんの背中にキラカードを貼る場面!!!泣くわ!!!!!(一回失敗したけど…それも含めて)

君が僕にくれたあのキラカード

その背中に貼り付けてやるよ

永い永い伏線を回収するかのようなこの流れ!!の子さんなりのちばぎんへの贈る言葉であり、神聖かまってちゃんの新たなスタートへの儀式のようでもあった。

そのあとは終わるようで終わらない〝怒鳴るゆめ〟のるーるるらーらのコーラスが続く。

まるで終えてしまいたくないようにも思えたのは少しナイーヴ過ぎるだろうか。最後のみさこさんのドラムは殊更大きな音を鳴らしていたような気もしている。

「俺たち、喧嘩もしてきたんだけど、アレだな、想い出ってのはキレイになるから、ズルイよな…」というの子さんが呟くように言ったあと、ちばぎんが「そだね」としみじみ言っていたのもグッとくる。

ちばぎんのシンプルで飾らない感謝の言葉も胸に来たし、それをニコニコと見つめるみさこさん、隣にいて黙ってそれを見つめていたmono君も印象的だった。

そしていつまでもステージに残っていそうなの子さんをちばぎんが肩車してステージを去っていき、この日のライブそして神聖かまってちゃんのひとつのピリオドは終わった。

久しぶりのかまってちゃんのライブは素晴らしいものだった。そしてもっともっと観ていれば良かったな、という後悔も少しだけあった。でも、この夜、この時だけはわたしの衝動をぶつけられたような気がする。今はそれで良いじゃないか。

という事で。ありがとう、ちばぎん。さようなら。